常世国往還記

本と映画のノート



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カテゴリー

最新の記事

過去ログ

ブログ検索

FC2ブログランキング

RSSフィード

プロフィール

かもめ

Author:かもめ
読書と映画の鑑賞記録。
日記もちょっとだけ。








ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

スポンサーサイト

--/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

天に向かって唾を吐く

2004/08/08(日) 23:58:48



憎悪 (book)
ウィラード・ゲイリン著 中谷和男訳
アスペクト 2004年
これは何と言うか……。

まあ、百歩譲って著者に好意的に考えるにしても、そもそもテロや戦争などの、集団同士の衝突について、すべて精神医学的あるいは心理学的なアプローチのみで語ろうとするのが無理なのだと思います。

著者の主張はおおむね以下のようなものです。


テロリストの多くは劣等感と、妄想的な被害者意識を持ち、問答無用で相手を抹殺しようとする態度は社会性の歪みを示していて病的である。しかし、彼らは社会性を完全に遮断された精神病患者ではなく、ある意味では彼らの属する集団内の正常な一員だ。従って、彼らの発想が幾分なりとも彼らの社会のある部分を反映していることは否定できない。



確かにここまではそのとおりだと思いますが、まあ常識の範囲内なので、事改めて分析してもらうまでもない。





テロは完全な犯罪行為である。その原因となるのは、テロリストと彼らが属する集団がテロの対象者に対して抱く、妬みに基づいた憎悪の感情だ。テロリストは、彼らの「敵」によって彼ら自身の受けるべき利益が横取りされたという妄想を抱き、ために「敵」を憎悪し、復讐のためにテロ攻撃を仕掛ける。
しかし、テロリストの被害妄想は、全く根拠のないものなので、テロの被害者には無関係であり、テロの原因を探し求めたり、テロリストを理解するなど不可能かつ不要なことだ。



このあたりになると、だんだんおかしくなってきます。確かに、テロがビル爆破などの無差別殺人であるとき、被害者個々人は、テロと直接には何の関係もない人々です。個人に関する限り、テロ攻撃は身に覚えの無い晴天の霹靂で、狂人や強盗による殺人に等しい。しかし、テロの目的はたいてい個人に対する無差別殺人そのものではなく、被害者たちの属する社会に対する攻撃です。事が対「社会」的な問題であり、さらに著者が言うように、テロリストの発想が、彼らの所属社会全体の気分をいくらかなりと反映したものであるならば、それを精神病患者の支離滅裂な妄想と同列に「根拠が無い」と安易に言い切ることはできないと思います。
被害者意識が完全な誤解である可能性も否定できないけれど、たとえば流行の?いじめの場合、いじめっ子にはいじめたつもりなどなくても、いじめられた側の被害者意識にはそれ相応の根拠があるものです。
いずれにしろ、一方的なものの見方では何も解決しない。「理解の必要など無い」と切り捨ててしまえば、テロは永久に続くでしょう。


後半はもはや矛盾だらけです。
テロの被害者には責任など無いと言い切ったくせに、ユダヤ人の社会にはホロコーストを招く要素があるし、ヒトラー政権や特攻隊を生んだドイツや日本の社会には、テロの温床となる特徴があるのだそうですよ。もちろん、「閉鎖的」なイスラム社会は、その筆頭です。

文化・風土の多様性を尊重すると言いつつも、アメリカ的尺度での「善」「悪」に照らして、文化間に優劣をつけるがごとき著者の態度は、国際理解の対極にあります。
当のアメリカにしたところで、マイケル・ムーアの報告を待つまでもなく、これまでに数多くの憎悪と暴力を生み出してきたことは周知の事実です。宗教で言えば、キリスト教社会だって閉鎖性では人後に落ちません。異端弾圧、魔女裁判、ずいぶんいろいろなことをやってきましたよね。それなのに、十字軍に限っては、「宗教的なテロではなく領土拡張行為」と言い出すに至っては、もう笑うしかありません。

残念ながら、テロを生み出す要素の全く無い「健全な社会」など、この世のどこにも存在しないでしょう。
人間は、多様であるにもかかわらず、本能的に集団を作らずにはいられない不思議な生き物です。個々人にはっきりした個性があるのに、自分とは異なる他人と肌を接していれば、そこに何らかのストレスが生じるのは、むしろ自然な成り行きです。ストレスの原因は結局のところ「オレとオマエは違う」ということに尽きるのではないかと思います。
個人対個人、集団対集団、国家対国家。複数の異なる存在間には、優越感、劣等感、ねたみ、ひがみ、軽蔑などの、否定的な感情が生まれる可能性があります。これらがテロの母胎になるとすれば、テロの起きる可能性はどんな集団間にもあるのです。

しかし、著者も言うとおり、ここから相手への具体的な攻撃に至るまでには相当の距離があります。なぜなら、結局のところ我々は社会的な生き物であって、たいていの場合、他者を抹殺するよりも、互いにつながろうとする気分が強いからです。このような本能が、ストレスを昇華させ、家族、地縁社会から広くはグローバリズムまで、理解と愛情を育てるもとになるのでしょう。

しかし、時として友好的な気分が途切れ、ストレスが臨界値を超えることがあります。このような場合に、わりあい簡単に共食いに至ってしまうのも人類の特徴です。
二つの存在間に生じるストレスに、一方的な原因などありません。両者の力関係が平等なら、ストレスの克服はお互いの問題であるはずです。善悪の基準だって、相対的なもの。
殺し合いにならないためには、互いの立場を理解し、尊重し、それぞれに譲歩する以外ないでしょう。
自分の価値観を絶対的なものと思い込み、相手の言い分には耳をふさぎ、周囲のすべてに己の基準を強要するのは、それこそ大国主義的な思い上がりによる精神的なテロに等しい行為ではないでしょうか。


スポンサーサイト
読んだ本TB:0CM:0
<< 私ではなく、蠅がホーム全記事一覧長い長いお医者さんの話 >>

コメント
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://segrokamome1.blog27.fc2.com/tb.php/82-1b25815b

Copyright(C) 2006 常世国往還記 All Rights Reserved.
template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。