常世国往還記

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「私」の在り処

2007/04/13(金) 16:54:36

わたしを離さないで
カズオ イシグロ
早川書房 (2006/04/22)

終始、女性「介護人」であるキャシーの独白、つまり「わたし」という一人称の語りからなっています。
タイトルの「わたし」は語り手であるキャシーのことを指すのか。読み手に素朴な予想を抱かせつつ、物語は始まります。

「介護人」という言葉から連想するのは、老人施設の職員ですが、どうもそうではないらしい。彼女の介護の対象は、「提供者」という聞きなれない存在で、その中には、彼女の古い友人たちも含まれている。つまり、彼女にとって、介護の対象は、老人や障害者などではなく、年齢も境遇も自分と同類の人たちらしいということが分かってきます。
やがて話はキャシーの子供時代に飛びます。舞台はヘールシャム。寄宿学校とおぼしきその施設での、子供らしい平凡なエピソードが、次々に語られてゆきます。しかし、この種の学校にしては珍しく共学であることを含めて、彼女たちの置かれた環境や、教育内容などには、奇妙な点がいくつも見いだされる。
読者の予想に反する小さな齟齬が積み重なって、次第に異様な物語世界が立ち現れてくるのです。

語られないことの中にこそ語るべきことがあるという、巧みな修辞に驚嘆させられます。最後の種明かしでさえ、言及されない膨大な背景の中の、ほんの一部にすぎません。(たとえば、エミリ先生と車椅子の関係について。たとえば、キャシーが異例の長期にわたって「介護人」を務め続けることについて。)
シチュエーション自体は、SF小説の世界ではもはやありきたりなものですが、作者の目的は、未来社会への警鐘とか、科学技術に対する疑問などの表面的な部分にはなく、タイトルに示す通り、社会において、「あなた」でも「彼」でもない、人間ひとりひとりの存在の基盤となる「私=ME」の本質を考えさせることでしょう。

この物語を、人種隔離政策や格差社会、アメリカのイラク支配、あるいはまた、解説にあるような英国の社会思想問題になぞらえることもできるし、もっと広く、個人の生活や感情までもが当たり前のように切り売りされる、現代の経済社会そのものと見ることもできます。
キャシーたちのルーツであるヘールシャムは、私たちが既によく知っている世界なのではないかと思えてきます。

SF的な架空の設定の上に小説を構築するのは、もともとSF作家に分類されるイーガンやレムなどがそうですし、アーサー・クラークにも一部その傾向がありますが、彼らの作品が、人間の存在の内面に分け入って、形而上的に深化するのに対し、この小説の主題は、普遍的な社会と個人の問題に還元され、虚構でありながら虚構でない。あくまでも現実社会とリンクしているところが、この著者らしいと思います。

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