常世国往還記

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日陰の男

2007/03/23(金) 16:30:45

山本勘助
山本勘助(book)
posted with amazlet on 07.03.15
平山 優
講談社 (2006/12/19)

風林火山、毎週熱心に鑑賞しております。勘助さん、カッコいいですね…って、あれ?本来二枚目役じゃなかったよね。まあいいや、内野くんなら何でも。
最近ようやく若殿様のご尊顔にも慣れました。ナンノの湖衣姫も納得いかなかったけど、今回のヒロインもいまいちですね…。まあいいや、内野くんが出てれば何でも。

というわけで、歴史のおさらいです。といっても、山本勘助なんて、実在したかどうかさえ定かでない小者ですから、この本が取り上げているのは、史実そのものではなく、勘助キャラ確立の大元となった「甲陽軍鑑」における勘助像です。
勘助を信玄の片腕にも匹敵する大軍帥と持ち上げている後世の軍記物語とは違って、甲陽軍鑑での勘助は、身分的には一兵卒に過ぎません。ところが、にもかかわらず、武田家の軍事の中心人物であり、白兵戦での武術から、大軍を率いての操兵術、あらゆる戦法・戦略、果ては城造りに至るまで、およそ戦に関する知識をすべて網羅した、博学多才の驚くべき知恵者として描かれているという大矛盾。
この矛盾ゆえに、近代になって、勘助の存在自体が虚構だという説が主流になったのですが、近年、実在の証拠と考えられる資料が発見されたりもして、実のところ、未だによくわからない。わからないので、それはひとまずおいて、本書は、甲陽軍鑑における、彼の軍事研究をまとめて紹介したものです。

簡略ながら、「歴史読本」の愛読者的な素人歴史ファン、ないしは軍事オタクに楽しいウンチクが満載。私は特に図解を交えての「城取り(築城法)」の章が面白かったです。

しかし、それにしてもうさんくさい。
ただの足軽が、どうして大局的な戦術論を語れたり、築城術を分析できたりするのか。諸国を漫遊して、知識が豊富というだけならまだしも、甲陽軍鑑によれば、その(当時としては)膨大な情報を、勘助個人が体系化したことになっています。

ドラマの勘助を見ていても、腕っ節が強くてちょっと気の利いたアイデアマンという程度で、のちの知恵袋としての勘助像には、どうしても結びつかないんです。かっこいいから許すけど。
だいたい、腕っ節の強い、という点だけとってみても、足が悪くて隻眼、というだけで、兵法者としては大変なハンデですよね。果たして、あんな体でそんなに強かったんでしょうか。

    ・・・・・・・

さて、ここからは妄想です。
ドラマの中で、あっちの国をウロウロ、こっちの国をフラフラしては、いろんな大将に接触し、「お役に立ちますよ」ってなことを言って歩いている勘助を見て、フト思ったのですが、この人のやってる本当の仕事って、実は諜報活動だったんじゃないだろうか。というか、実は諜報組織の領袖か何かで、彼のやってる猟官活動は、彼個人ではなく、彼の背後にある集団が、どの国につくかという話じゃなかったかと思うのです。

だって、変でしょ。兵力として雇用するなら、あの体を見てまず食指がうごくはずがありません。軍略に関してだって、今の会社組織で考えても、新入りにいきなり大事な仕事の話なんてするかしら。どこの馬の骨とも知れない一介の浪人を相手に、殿様が直接あれこれ相談するなんて不自然です。
しかし、「勘助」を、個人としてではなく、恐らくは主に諜報活動を専門とする技能集団の代表とすれば、彼が殿様に接触したり、軍事上のアドバイスをしたりするのも納得できます。彼の武力が彼個人のものでなく、彼の集団の持つものと考えれば、領袖たる彼が障害者であっても不自然ではありませんし、大量の情報や、緻密な分析も、その集団の財産としたら、驚くほどのことではありません。

もしかすると、今川の騒動は、勘助一味が実行犯だったのかも。そして、そのことを知った義元が、いくら自らが権力の座につくためとはいえ、身内の殺害に直接手を下した勘助(とその集団)に不快を感じ、遠ざけたというのが、あの不採用の場面の真相だったかもしれないですね…なんて。

あちこちを渡り歩いたあげく、勘助軍団は最終的に武田につくことになる。そして、彼の率いる集団が持っている情報とノウハウが、すべて武田のものになる。
信玄の偉さは、本来なら陰の存在である勘助の功労を認め、小者とはいえ、一応の身分を与えて「表」に出し、彼の集団を公式に配下に従えたこと、そして、おそらく、家持ち・土地持ちの一般の士分と違って、何かと軽んじられがちな彼らが蓄積する情報やアイデアを、正式に採用したことではなかったでしょうか。

勘助個人は合戦中に命を落とす。しかし、その後も彼の配下の者たちは、武田にとどまり、諜報活動に従事する。やがてその中の一人が、自分たちの記録としての「軍鑑」を編むにあたり、武田に所属するきっかけを作った「勘助」を主要人物に模した…と考えれば、甲陽軍鑑の矛盾も矛盾ではなくなります。

勘助さんが手下を率いて、「真田十勇士」みたいに大活躍とか、いいかも!…って、やっぱり妄想だなこりゃ。
なんて思ってたら、既に同じこと考えてた方があるんだな。
荒唐無稽な想像でもないかもしれないですよ。

  山本勘助はいなかった―「風林火山」の真実(book)
    山本七平 ビジネス社 (2006/11)


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