常世国往還記

本と映画のノート



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Author:かもめ
読書と映画の鑑賞記録。
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楽園追放

2006/08/09(水) 18:57:52

扉の向こう側(book)
パトリシア・ハイスミス 岡田葉子訳 
扶桑社ミステリー 1992年


大学進学を目前に控えたアーサーは、学力優秀、品行方正、家の手伝いもすれば、近所のおばさんたちにも親切。まさに絵に描いたような良い子です。両親にも従順な彼ですが、最近、ちょっと父親をうっとうしく思うことが多くなってきた。自立心が芽生え、自分なりにいろいろ考えはじめる年頃なんですね。
お父さんのリチャードにとって、アーサーはもちろん自慢の息子。だけど、巣立ちかけている長男のようすに、ちょっと焦りも感じています。お父さんは、貧しい家庭から苦労してたたきあげた人で、それが誇りである一方、コンプレックスでもある。かつて自分が泣く泣くあきらめた大学進学を、当然のように手中にし、どんどん自分を追い越して、自分の知らない輝かしい世界へ旅立っていく長男がいささか癪なのです。
「誰のおかげで今のお前があると思っているんだ!」幼い頃のような全面的な尊敬を得ようと躍起になればなるほど、親子関係はギクシャクしてしまう。お父さんは、エリート候補の息子が、無教養な安サラリーマンの自分を馬鹿にしているんじゃないかと不安で、苛立っています。

こんなありふれた小さな不協和音が、平和な家庭にさざなみを立てはじめたとき、次男のロビーが風邪をこじらせて入院、生死の境をさまようという大事件が起きます。ロビーは、中学生にしては子供っぽく、輝けるお兄さんに比べて目立たない存在なのですが、生きるか死ぬかとあっては、お父さんもかかりきりで、寝ずにお祈りを捧げたりします。
やがてロビーは無事回復しますが、これをきっかけに、それまであまり精神的な問題に関心の無かったお父さんが、突如宗教に目覚めてしまいます。ロビーの全快→神が祈りを聞き届けられた→私たち一家は神に選ばれた存在である、と思い込んでしまったのです。

やれ教会へ行けだの、聖書を読めだの、ますます面倒な存在になった父に、爆発寸前のアーサー。間に立って、双方を必死になだめる母。
そんな折も折、こともあろうにアーサーの恋人マギーが妊娠してしまう。心の準備のない二人は途方に暮れますが、幸い、マギーの両親は合理主義者で、過ちは過ちとして、若い二人の将来のためには堕胎もやむなしということで全員が納得。
やれやれ、これで一件落着…と思ったら、妊娠を知ったリチャードが横から“待った”をかけます。「神から授かった生命を消し去ることなど絶対に許されない」と強硬に主張する彼。「もう手術の予定も決まっているのに…」困惑するマギー一家。
非常に具合の悪い立場に立たされ、頭にきたアーサーは、とうとう父親と真っ向から対立してしまいます。


ありきたりな青春小説かと思うような書き出しですが、ここから先は、徐々にハイスミス流にねじれて行きます。

リチャードは凡庸で俗物でも、悪人ではないのですが、彼の失敗は、息子に意見をするにあたって、自分の言葉で語らずに、宗教的な権威を頼ってしまったことでしょう。彼は、社会的・経済的に上位のブルースター家に対する引け目から、正面切って彼らに対峙する自信がなかったのです。
教会製の空虚でご立派な意見を繰り返し、息子からあからさまに軽蔑されて、意地になった彼は、教会や信者たちからの無責任な支持を頼りに迷走しはじめます。自分ひとりならまだしも、極度のファザコンで、父親や年長の男たちの関心を引きたくてたまらない未熟なロビーを道連れにして。

お話は、アーサーのほろにがい青春物語と並行して、この“えせ信心”のもたらす混乱と悲劇をたどります。

愚かな小市民的正義は、しばしばこの話のように人間関係を破壊してしまうものですが、しかし、愚かで頑迷な思い込みの中にだって、愛情や真実が含まれていないとも限りません。堕胎反対は、(現実的ではないにしても)皆から嘲笑されなくてはならないほど馬鹿げた考え方なのでしょうか。
作者がリチャードに与えた運命は、いくらなんでも不公平じゃないかという気がします。

逆に、アーサーや、マギーを始めとするブルースター家の考え方も、もう一つ納得がいきません。
アーサーやマギーが、自分たちの都合を優先して、新しい生命を断ってしまうことに、ほとんどためらいも後悔もないのは驚きです。(「金八先生」は馬鹿げているにしても、たとえば、同じようなシチュエーションの小説「ディア ノーバディ」における少年少女の真摯な懊悩と比べると、あまりにもあっさりしています。)
アーサーは、確かに行動の上では常に正しい。しかし、内面はきわめて利己的な人間のようでもあります。殊に、生物学を志そうとしている少年の生命観や倫理観としては、いかがなものかと。
作者の意図は、軽々しく結論を出すことではなく、こうした問題提起にあったのかもしれません。ただ、構成の不備か、そのあたりがあまりうまく出ておらず、一方的な見方に偏っているように読めるのが残念です。


原題の「People who Knock on the Door」は、聖書からの発想と思われますが、訳者解説によれば、皮肉な比喩としての用法もあるようです。
本来は信仰を求める者を表すことばが、信仰の押し売りを意味するようになるとは、なんとも救われない話ですね。

 
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コメント
ほろにがい凡庸を
ほろにがい凡庸を迷走しなかったの?
BlogPetのありす #-|2006/08/10(木) 14:57 [ 編集 ]
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