常世国往還記

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ヘルター・スケルター 

2004/05/29(土) 11:03:50



ヘルタースケルター(comics)
岡崎 京子作・画 祥伝社 2003年

ビートルズの曲名からつけたタイトルだと思いますが、ドタバタ、というほどの意味でしょうか。
主人公の「焦り」、あるいは主人公の周囲の世間一般が、次々に流行と欲望を追いかけて狂奔するさまをいうものと思います。


タレントモデルのりりこには大変な秘密がありました。
彼女、本名「比留駒春子」は、お金も容姿も才能も、普通の女の子が望むものを何一つ持たない少女でしたが、家出して上京、デート嬢で食いつないでいたところ、モデル事務所の女社長に「冴えない肉に埋もれたたぐいまれな骨格」を見込まれて拾われ、人体改造と言った方がよいくらい、徹底的に全身を手術して作られた究極の「整形美人」だったのです。

持って生まれた顔と体を捨て去ると同時に、春子はモデル「りりこ」となり、芸能界に入って世間の夢・希望・欲望に完全に自我をゆだねてしまう。結果、彼女は大成功を収め、「なりたい女No.1」に選ばれるほど、みんなの憧れの体現者となります。完璧な容姿、流行の服、男、金、そしてかっこいい仕事。

しかし、得意の絶頂をきわめようとしながら、りりこは常に強い不安にさいなまれています。彼女の「現在」を支えるのは、彼女自身ではなく、「世間」という不確定なものであることを自覚しているからです。
一方、整形手術と作られたアイドル像という仮面の下に抑圧された本来の肉体と自我が反乱を起こし、彼女は中からも外からも壊れ始める。

男に逃げられ、天然美少女のライバルに追われ、更に彼女の手術とメンテナンスの拠り所である医師には、不正診療の容疑が。付き人の羽田とその恋人奥村は、りりこの底知れぬ「負」の妖しい魅力にからめとられ、運命を共にするかのように堕ちていく。やがて、起こるべくして起こる暴露。
追い詰められたりりこに、起死回生のチャンスは残っているのか?!





女の子の自我形成がほんとに難しい時代になりました。
良妻賢母だけで充分だった頃がちょっぴり懐かしいくらいです。

今時の女の子は、男の子と同じように、独自の個性を持ち、自立した社会人として成功することが要求され、それに加えて、前世代から共通の目標である暖かい家庭の形成・維持(勿論出産・育児を含む。パートナーの協力が前提とはいえ、少なくとも半分は自分が関与するのだ)、美しい容姿と洗練されたセンスが必要となります。
頭脳的・肉体的な少数のエリートを除いて、そんなことは無理。普通の女の子にはどう考えても荷が重過ぎるのに、世間(親も学校も社会も)は彼女たちを夢に向かって駆りたてます。

男の子たちにもつらい時代がありました。
100年ほど昔、押し寄せる近代化の波のなかで、彼らは「家」から解放され、個人になりました。頚木であると同時に、彼らを守る砦でもあった「家」がなくなり、彼らはたった一人で世界に立ち向かわなくてはならなくなりました。この孤独、この重圧。
能力の高い者、有利な環境にあった者は、プレッシャーをたやすくはねかえして、生き生きと個性を発揮しましたが、その他大勢にとっての近代化はどうだったでしょうか。
よるべなき個人は孤独に耐えかね、庇護を求めてナショナリズムに走ったのではなかったでしょうか。

女性の近代化は、男性よりはるかに遅れ、今やっと始まったところです。
「家」が形骸化した後も、夫婦子供の最小単位である「家庭」は長く残り、女性たちは専属の労働力として、家庭内に留まることを要求されました。しかし、戦後の復興を終え、男性社会が良くも悪くも安定し、ようやく女性を家庭から解放する動きが本格化してきたのです。
社会的に成功した女性たちがもてはやされ、かつての成功者だった賢婦人たちは、背後にしりぞきました。ちなみに「カリスマ主婦」は言葉の矛盾です。彼女たちは誰一人、いわゆる「主婦」ではありません。家事技術の指導という社会的な職業の成功者です。もはや、本当の「主婦」は、どんなに家庭夫人として優れていても、十代の少女達にとってトップクラスの人生モデルにはならないのです。

かつての男の子たちにとって、父親がモデルの役割を果たさなくなったのと同様に、今の女の子たちにとって、一般的に母親は人生モデルではありません。もちろん、専業主婦の妻を従えた、あるいは妻に家庭を牛耳られている父親も、たとえ社会の成功者であっても、性別の違い以前に、女の子の目標にはなれっこありません。
かわりに、例えば学校の女性教師あたりが、地に足のついた女性社会人としてのモデルになってくれるといいのですが、この頃の先生方は、昔と違ってご自分の個人的な側面を生徒に曝すのを避けておられるようです。師弟関係は非常に事務的で、生徒たちが、よき母親や妻としての先生に接する機会は残念ながらほとんどありません。

さまよえる少女たちは、手近な幻想に飛びつきます。
テレビで目にする「普通っぽい」タレントは、とっつきやすい目標。限りなく自分達に近くて、ちょっとだけ上の存在。「商品」として流行の言葉やイメージに飾り立てられ、それらを象徴するグッズをまとったブラウン管の女王に少しでも近づこうと、少女達は次々に演出される価値に群がります。しかし、その底にあるのは、真の人生ではない。このようなアイドルは皆、整形してようがしてまいが、ほんものらしく見せかけた、レプリカでしかありません。だから、流行に踊らされる少女達の人生は、しばしば悲劇的に破綻します。

援助交際、渋谷監禁事件の小学生、彼女たちの夢はお金で買えます。
彼女たちのモデルは、TV画面の、あるいは雑誌の中の商品。次々に変わる売り物の集合体としてのタレントは、頭のてっぺんから足の先まで、すべて店で買うことができます。夢を追うためにはお金が必要。商品を生き方のモデルとする彼女たちにとって、自分を商品化することにためらいのあろうはずがありません。
商品はモノであってヒトではない。一旦モノになったら、もうヒトの世界には受け入れられないかもしれない。だからモノの世界に堕ちることには、底知れない怖さがありますが、怖い部分、暗い部分はブラウン管から、メディアの表面から、巧みに隠されているので、彼女たちの幼い目には映らないのです。

人間がモノとなることの恐ろしさ、自らモノの世界に堕落することの悲惨を、このコミックは、ショッキングに、スリリングに、しかも非常にわかりやすく描いた名品といえるでしょう。


惜しいのは、敵役ともいえる麻田検事の「負」の部分がはっきり描かれていないため、りりこへの共感の理由が見えないことです。
トラウマかなにかはわからないけれど、彼には彼なりの不安がある。アウトサイダーという単純な共通点だけでなしに、その内面の複雑で暗い部分が、恋愛感情とは異質の糸で、彼とりりこを結びつけているらしい雰囲気があります。
ところが、紙数の都合か、ここでは麻田検事個人についてほとんど物語られないので、りりこをおとりに使った罪悪感くらいにしか思えないのですね。それだけでは、りりこというブラックホールの反対概念として弱いような気がします。

このあたりを描きこめば、女の子だけでなく人類共通の原罪意識のようなものまで掘り下げて、壮大なテーマになったかも知れません。その点がちょっと残念でした。
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