常世国往還記

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おたくのお隣り

2006/01/27(金) 15:38:44

「おたく」の精神史

大塚 英志著
講談社 (2004.2)
通常2-3日以内に発送します。

宮崎勤の死刑が確定しましたが、他の大事件と重なったためか、マスコミはわりあい静かでしたね。
弁護団のコメントが見当たらなかったのはどうしてでしょう。このような明らかな敗訴の場合、コメントはしないものなんでしょうか。
まあ、言うべき言葉がないといえばそうか。


以前、2号が「おたくとマニアの違い」を分析してみせたことがあります。
彼はとある分野の“マニア”なのですが、「○○おたく」のようにおたくと混同した呼び方は是非やめてもらいたいと。両者は似て非なるものなので、十把一絡げにされたくないそうであります。

彼によれば、一般に、おたくは閉鎖的、マニアは開放的。おたくの集まりは「布教活動」だが、マニアの集まりは「情報交換」。
おたくがもともと趣味嗜好の一致する人間同士で固まる傾向にあるのに対し、マニアは相手構わず自分の趣味を披露し、その素晴らしさ?を喧伝して仲間を増やそうとする。

したがって、同じネタでも、例えば「ガンダムおたく」と「ガンダムマニア」は、全くの別物である。
同じマニア傾向のある者として、「ガンダムマニア」の気持ちはわかるし、ガンダムを知らないなりに、話していて面白いと思う。
しかし、相手が「ガンダムおたく」だと、ガンダムを見たことのない自分はそもそも話に入れてもらえないことが多いし、会話に入れたとしても、批判的なことを口にしようものなら、たちまち弾かれる。それは、マニアが非マニアに「物好きな」とか「変」などと言われて「わかんないかなあ…」と残念がるのとは、全く異なる反応なのだ。


ふふふ。2号もなかなか面白いことを考えるようになりました。
具体的には、エヴァおたくに「あれがわからないのはお前がガキだからだ」とやられて、憤慨しているわけね。マニアは一部なりとも趣味がつながればそれでよしとするのに対して、おたくのほうはどうも、世界観が一致しないと相手を否定する傾向があるのかもしれませんね。
そのように考えると、この本の著者がおたく文化とオウム真理教を結びつけるのも腑に落ちます。


昔々の八十年代、私がまだ学生だったころ、周りにはおたくがうじゃうじゃしていました。身内にも一人いました。
彼らと興味の方向性が同じなので、いかにも話が合いそうなのですが、これがどうにもうまくいかない。
この本に出てくるおたく系の出版社に出入りしたこともあるし、友人つながりでその筋の教祖的な人を訪ねたりもしているのですが(著者ともどこかですれちがっているかも)、何か違和感があって、話がかみあいません。

彼らの関心事に私も興味がある。だから、彼らを否定する気持ちはないのに、彼らの世界に彼らほどのめりこめない。
彼らがもてはやすファンタジーなりアニメなり、虚構の世界は、私にとっては現実の対照であったり、あるいは現実を解釈するための手段だったりする。あくまでも現実が主なのですが、彼らにとっては、虚構の世界自体が、現実とは関係なく独立した価値を持っていて、つまらなくくだらない現実よりもはるかに意味のあるものだった。そこが、彼らと私が大きくずれている点だったように思います。

このようなおたくの感覚は、私自身にとっても、かつては親しいものでした。子どもの頃の「ごっこ遊び」がそれ。
アニメの主人公やヒロイン、または、自分が勝手に追加したキャラになりきって、もとのストーリーをいじりながら遊びました。二次創作もさんざんやりましたよ、小学校高学年のころ。
でも、いつの間にか、現実のほうが面白くなって、そっちにウエイトが移りました。大きくなって、次第に現実に手が届くようになると、虚構の中であれこれやるより、現実に行動するほうが面白くなったのです。
だから、コミケもコスプレも、ある程度面白いと思いながらも、心のどこかで「ガキの遊び」と考えていたのでしょうね。

背景には、社会が完全に安定し、高度成長が終りにさしかかり、現実が変化しにくくなっている状況があったのかもしれません。10年後、20年後が簡単に予測できてしまうような安定路線(実際は大幅に違いましたが)の中で、うまくいっている人も、うまくいかない人も、自分の人生を自分で支配するという感覚が乏しくなっていく。

高度成長の最後のあだ花みたいな、80~90年代のバブルは、現実には何も変わっていないのに、やりとりされる数字(金額)だけで価値が上がっていくという、極めてファンタジックな出来事でした。
現実の虚構化と、虚構を現実化することは、著者の言うように、背中合わせに存在するのでしょう。そして、現実がどこにあるのかあやふやなまま、現実に対して無力な子ども感覚の延長としてのおたく文化が発展する。

バブルがはじけ、デフレが浸透するにつれて、おたくの世界も矮小化しました。壮大なファンタジーを共有し作りこむといった気概は失せ、誇大妄想的でないかわりに、発展性に乏しく、受動的で個人的な隘路「萌え」へと追い込まれつつあります。

オウム事件をおたく文化最盛期の鬼子とすれば、社会性を喪失し、個室に閉じこもり、肥大した負のファンタジーを現実に投影してしまった宮崎事件やサカキバラ事件は、おたく文化のなれの果てであると同時に、その変容のさきがけだったのかもしれません。


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