常世国往還記

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人、神に遇う

2004/10/20(水) 07:21:37



神秘の人びと(book)
古井由吉著 岩波書店 1996年
ヨーロッパで編まれた中世神秘体験集独語訳を読みながらの随想。
キリスト教(カトリック)、ドイツ文学またはドイツ語、ヨーロッパ中世史のいずれかに素養ないしは強い関心がないと少々つらい内容/レベルです。つらかったです。

一語一語の意味を吟味し、日本語に移せばあれかこれか……、想像の翼をはばたかせ、ともすればあちらへ飛び、こちらへ戻り、著者自身が笑うように、ほんとうに書物の世界に行き暮れてといったありさまです。何かを一心に読むという行為を逐一書き連ねたら、こんなことになるのだろうなと思いました。文字通りの随筆。





現代の精神医学の手法で分析すれば、きっと散文的な寒々しいものになってしまう「神との対峙」ですが、中世という時代にあっては、当事者にとって「奇跡」か「恩寵」以外のなにものでもなく、その受け止め方が社会的にも共有されていたのだということをあらためて認識しました。

このように集団内に普遍的な「神」の存在する中世的な精神のありかたに引き比べ、現代では、宗教というかたちこそ存続しているものの、「神」はもはや個人的な体験にすぎないのではないかということ、また、たとえばイスラム社会では、このような「共有する宗教体験」の感覚が、いまだに残っていたりするのだろうかなどと、著者の逍遥にならって、本の内容とはあまり関係の無いことをあれこれ考えてしまいました。

そもそも、神秘体験集の編者たちが身をおいていた、キリスト教神学の世界、神の研究ということ自体が、私の理解を超えています。神を学ぶことによって、何が見えてくるのか、見ようとすることもまた誤りなのではないか。


デンマークの映画監督カール・テオドール・ドライヤーに「奇跡(Ordet)」と題する作品があります。

1920年代の農村における宗派間の対立と和解を描いたこの映画は、まさに宗教体験の共有による「神」の成立がテーマ。

最初に観たとき、映画も文学に匹敵する深さを持ち得るのだと、生まれて初めて認識して衝撃を受けたものですが、それはさておき、この映画の中に、神学に没頭するあまり精神に異常を来たしてしまった(と周囲に思われている)男が登場します。現代的な感覚では狂人にしか見えませんが、本書で紹介されている中世の神秘体験に照らしたとき、彼の言動は神に出会った人びとのそれときれいに重なり合う。

すぐれた宗教的作品を生み出したドライヤーのことですから、当然中世の神秘体験をも意識していたにちがいありません。

デンマークの若い俳優が演じたこの男、沈鬱なおとなしい狂人が、神の子キリストその人と一体化し、一人の人間としての個性を放棄するまでのはげしい葛藤を、監督自身はどのようなものととらえていたのでしょうか。
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