常世国往還記

本と映画のノート



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Author:かもめ
読書と映画の鑑賞記録。
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金融の宿痾

2009/01/24(土) 12:20:09

昭和金融恐慌史 (講談社学術文庫)
昭和金融恐慌史(book)
posted with amazlet at 08.12.13
高橋 亀吉・森垣 淑
講談社(講談社学術文庫)

その一
現代人の品格がどうとか、拝金主義がどうとか言いますが、人間の本質ってそんなに変わるものじゃないですね。
明治生まれの人たちが起こした昭和恐慌も今の金融恐慌も、時代背景の違いこそあれ、根にあるものは同じです。どの時代にも、どの世界にも、欲につられて行動する人と、そうでない人と、二種類の人間がいるというだけ。そして、見たところ、そうでない人種のなかにも、たまたまそのような機会がなかっただけの人と、強い信念を持って、欲望に背を向けて生きる人の二種類があって、後者はほんとにほんとに、ごくわずかだと思われます。
昔々、もう見るからに学問一筋、世間のごたごたとは一線を画して生きておられるものだとばかり思っていた高名な老博士が、「相場に手を出して大やけどしたことがある」とおっしゃっているのを聞いて、私はショックでしたよ……。
だから、ウォール街の失敗について、そこらへんの人たちがこぞって批判するのって、どんなものだろうか。

その二
著者は、特定の企業の金庫番として発生した明治の銀行の前近代的な体質に、恐慌深化の原因を求め、銀行の企業への隷属体質を改めれば問題が解決するという、楽観的な見方をしていますが、それほど簡単な話なのでしょうか。
確かに、特定企業とのパイプを断ち切れば、最初の融資決定の段階では健全な取捨選択がはたらき、資金を入れるべきところに入れ、そうでないところへは貸さないという「まともな」判断もできるでしょう。
しかし、昨今の黒字倒産の事例などを見ていますと、一定の好景気の期間を経たあとで、下向きに転じたさいには、やはりどうも、健全な取捨選択は難しいのではないかという印象です。

たとえばここに、今回の恐慌以前にすでに経営が悪化していたAという会社があります。好景気に急成長した会社で、銀行はたくさん融資をしていますが、ずさんな経営のせいで事業に破綻をきたしています。このまま金を入れ続けたところで立ち直る見込みはないので、銀行も見放していて、更生法申請は目前だったのですが、そこへ恐慌が起きました。すると、この会社の業績不振も、マーケットからは他社同様に恐慌起因のものとみなされて、表面的には目立たなくなってしまいます。
一方、銀行を始めとする金融機関は、恐慌のおおもとである資金運用の失敗から大怪我をします。そうなるともう、A社は潰せません。ここでA社が潰れたら、中身は既に死に体ですから債権ごとふっとんでしまい、A社に貸し込んでいる銀行は、ただでさえ弱っているところへ更に打撃をこうむります。致命傷になるかもしれません。いきなり倒産されたくないので、ちまちまと運転資金のリファイナンスで延命させるよりほかはありません。
逆に、経営はそこそこ健全だったのに、たまたまマーケットの大暴落で苦境に陥ったB社の場合は、ほんの数億のリファイナンスを蹴られて倒産してしまいました。今はできれば貸したくない銀行側の事情と、中身のしっかりしたB社なら、潰してもそれなりに債権回収できる見通しがあったから。B社はA社よりも「ちゃんとしていたから」融資を断られた、というはなはだ理不尽な状況が発生したわけです。

結局のところ、銀行が独立した存在であれなんであれ、民間の一企業であるかぎり、彼らの融資を受ける一般企業の「適者生存」なんていうのは絵に描いた餅で、金融機関の「お家の事情」優先は避けられません。
いささか話は飛びますが、評判の悪かった護送船団方式にしろ、今は無き興長銀にしろ、バブル後の公的資金注入の過程で手放した種々の政府(or官庁)主導型の金融システムは、そもそもこういった弊害を是正するための仕組みだったのでは、と今更ながら思ったりします。


さて昭和恐慌に戻りますが、この混乱のあおりをくらって、祖母の実家は倒産しました。江戸時代から何代も続いた商家だったのですが、あらいざらい差し押さえられて、持っていかれたそうです。家だけがかろうじて残り、幸い戦災には遭いませんでしたので、戦後も長く、朽ちかけた女中部屋だの使用人の部屋だの厩だのが、往時の繁栄のおもかげをとどめていました。破産当時の一族のショックはいかばかりであっただろうかと思います。
この事件が教訓となって、終戦時に外地にいた祖母は、玉音放送を聞くやいなや、敗戦の衝撃もものかは、銀行にかけつけて預金を全額引き出してきたというひとつ話があります。
彼女は金融機関というものを信用していませんでした。金融機関の扱う有価証券も貨幣さえも信頼せず、使える間にさっさと使ってしまい、最後まで抱え込んでいたのは「モノ」で、これをさまざまなモノやサービスと交換しながら、彼女の一家はどうにか全員無事に本土に引き揚げ、戦後を生き延びてきたのです。
敗戦によって、国というものに対する信頼も地に落ちた時代を生きた人です。今も存命だったら、預金保護なんて何の保障にもならない、家族が大事ならさっさと預金を引き出しておいでと、叱りつけられたかもしれませんね。


昭和恐慌が遠因のひとつとなって、日本が無理な戦争への道を歩みだしてしまったことを思うと、経済の混乱は単に経済の世界のみにとどまらない、はかりしれない影響力を秘めているわけで、今回の世界恐慌もこのさきどのような未来へつながるのか、空恐ろしい気がします。

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お馬さんは?お馬さんは死んでないよね?

2009/01/21(水) 18:04:09

影武者<普及版> [DVD]
影武者<普及版> (cinema)監督:黒澤 明仲代達矢、山崎 努、萩原健一、根津甚八1980年 日本
posted with amazlet at 08.12.21
BS黒澤監督特集にて。あらすじ・批評その他はよそでさんざん目にしたので、確認程度の興味しかありませんでしたが、意外に見ごたえありました。これならばカンヌでパルムドールが取れても不思議じゃないです。

黒澤映画には特に珍しいことではありませんが、なにしろ非常に丁寧に撮っていて、場面場面に絵画的なたくらみがあります。動きを主体とする現代映画一般と違い、個々の画面構成に徹底的にこだわっています。最後の合戦シーンに代表されるような、大きな動きのあるスペクタクルすら端正です。
これは昔々の、たとえばカール・ドライヤー作品のような志向性を、現代のアクション映画に求めたらどうなるかしらという実験だったような気もします。

舞台構成・演出は、劇中にも再々出てくる能にならっています。同じことを過去に「蜘蛛巣城」なんかでさんざんやっているので、まあさすがに演じさせるほうも演じるほうも上手いこと。視線の動きひとつ、咳ひとつで感情表現しなきゃならない職人芸のレベルですから、いくらプロでも俳優の側はさぞかし大変だったでしょうね。
この手の演出を真似たのをいくつか見ましたが、他ではなかなかこうはいきません。
解説によれば、キャスティングに新人抜擢が多かったそうですが、よほどやかましく言われたのでしょうか、ベテラン俳優はもちろんのこと、当時無名の新人もなかなかみごとなものです。武田家臣団のベテラン勢が出来すぎ・おさまりすぎなので、新人のすなおな演技が逆にリアリティをかもしだして、好対照でした。

展開は、起承転結ではなく、能の序破急を踏んでいます。
影武者の選定から、信玄の死を秘す三年間、そして最後にわあっと合戦の場面が拡がって、それがいきなりすとんと終わると、もう全員が退場です。
時間配分も能にそろえてみたのか、かなり冗長なところが目に付き、これが傷といえば傷になっています。能って長いんですよね……特に「急」で、鬼に変身して狂うところとか、天女の舞とか。室町時代的にはたいへんな見せ場なのでしょうが、現代人にはちょっとくどいので、もう少しスピーディに流してもよかったのでは。

ストーリーのほうもいささか凝りすぎの感がないではありません。
影武者を二人設定したがために、視点がぶれて、いずれの影武者の運命についても感動が薄れてしまったのは残念でした。
おそらくこの話は、仲代演じる影武者ではなく、初代影武者であるところの、信玄が弟・信廉の悲劇であり、またそのようにストーリーを作って、仲代影武者を徹底的に客観し、道化役として扱ったほうが、(たとえラストシーンがあの通りであったとしても)より盛り上がったと思われます。二重写しの苦悩を自覚しているのは、無学で粗野な仲代影武者ではなく、山崎努の信廉のほうだからです。

その意味では、仲代さんは目立ちすぎました。でもだからといって、これが当初の予定通りの勝新だったらなおのことダメだったろうと思うのです。どのみち勝新は降りていたんじゃないかな。
本作で大女優二人の個性を徹底的に剥奪した黒澤監督をもってしても、あの存在感を一介の庶民に堕として死なせるのは無理。サイズだけでもでかすぎます。


見た映画(DVD)TB:0CM:0

ラピュータの住人

2009/01/21(水) 13:52:30

容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)
容疑者Xの献身(book)
posted with amazlet at 08.09.03
東野 圭吾
文藝春秋 (文春文庫 )

まずは比較的新しいところから。といっても、これは何年も前のハードカバーを昨年文庫化しただけだから、実は新しくもなんともないのですが。

えー、たいへんよく売れております。探偵ガリレオシリーズの短編がTVドラマ化され、まだどうにか二枚目役が張れるフクヤマ君が主演したのが大きかったです。フクヤマ君はドラマに出始めた頃から注目しておりまして(もうかれこれ20年前か…)、まあファンといえるかもしれません。
初めて見た「KYなエリート若手社員」役(超生意気)があまりにもはまっていたため、私の中では「変な人」の印象で固まってしまっております。及川光博さんに近いイメージです。ミュージシャン志望で上京したのに、音楽ではうまくいかなくて、仕方なく出ていたドラマで人気者になったら、CDも売れちゃったんでした。よかったね。歌は少々アレですが、それもそのはず、本来はギタリストなので、ギターはなかなか上手なんですよ。大昔(10年以上前)、NHK-BSのマニア向け洋楽番組で弾いてるのを初めて見たときはびっくりしました。当時は話もオタクそのものでした。やっぱり変な人です。

というわけで、理論物理学?のガリレオ湯川先生役は、ぴったりのキャスティングだと思いました。柴崎コウちゃん演じるお相手役は、原作では北村一輝さんの役と合わせて一人の若手刑事で、ガリレオ先生とは大学同期のサークル友達という設定です。ということは、あの刑事さんはキャリア組なんだねえ。
ドラマ的には花も必要ですから、コウちゃんはあれでいいとして、残念なのは北村一輝さんがフツーの人役をやってること。フツーじゃないでしょ、あの人。黙って出したら、これが犯人かと思うじゃないですか! 彼を使うなら、もっととんでもない設定にしてもらいたかったです。今年のNHK大河ドラマのキャスティングも、ほんとにどうかと思うよ! ああ、「時宗」のときの頼綱はよかったなあ。
まあ、あんまり強烈な役を当てて、主役を食っちゃっても困るか。

さて、ドラマと同じ配役で昨秋映画化された「容疑者X」(映画は未見)です。
このシリーズはどれも「ネタのためなら何でもやります!」的な、超人的にマメな犯人が出てくるミステリで、推理には整合性があってもストーリーには無理があります。シリーズ初の長編である本作もご多分に洩れません。
不遇の「天才数学者」という設定の中年男が、隣の年増美人に惚れるのですが、その惚れ方たるや、純情を通り越して何か病的なものを感じさせます。理系男子の大半がアニオタであるというのは現代の常識ですが、この中年男の場合も、対象が三次元という違いはあるものの、根は同じと思われます。
一般にこの手の人は、頭は良くても日常生活では「使えない」ものなのに、この先生は驚くほど有能で、経験もないのに何でも手際よくできちゃうのが非常に嘘くさい。頭で考えることと、現実に手を動かすことって、本質的に違うでしょ。「以上はすべて、隣の痴話喧嘩を盗み聞いた彼の妄想でした」ってオチなら、ベタだけどとっても納得だったのにな~。

さんざん理詰めで進んできて、ま、これはお話よりも理屈を楽しむ今様「ホンカク」だからね、と思っていたら、ラストがアレですよ。泣けますか? 私は違う意味で泣きたくなりました。


ところで、「犯人がいっしょけんめい頑張って隠蔽し、探偵がそれを崩す」という通常のミステリのパターンを、完全にひっくりかえして、無茶苦茶おかしかったのが、昨秋のドラマ「33分探偵(DVD)」です。
探偵が時間いっぱい使って、苦心惨憺、真犯人がやりそうなトリックや隠蔽工作を案出しますが、助手からも証人からも、そして犯人からさえ「無理。」と否定されてしまうのです。
古典ミステリのネタが次々と槍玉にあがります。そーだよなー、無理だよなー。

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再開

2009/01/21(水) 13:23:40

長らく放置してしまいました。
この間、いろんなサイト(たなぞうとか)に浮気していたのですが、本だけだったり、字数制限があったり、いろんなお約束事がめんどうで、どうもうまくありません。書く側よりも、見る(読む)側に焦点を合わせたところが多いように思います。データベースとして利用しやすいように、ということなのでしょうが、カタにはめられるのは窮屈で。これなら、amazonに書き込むのと気分的にはそれほど変わらない気がする。

はてなダイアリーは、ようやく下書き保存機能がついたようですね。今頃遅いよ。あれにもいいところはあるんですが、はてな記法がめんどくさい。やっぱりHTMLでいじりたい、というか、HTMLだってスタイルシートだって、たいしていじるわけじゃないんだけど、たぶん、「それはできませんよ」「これでやれ」と言われるのが嫌なんですね。相変わらずBlogWriteに対応してくれないのも、大きな理由です。この先もないだろうなあ。

サイトではありませんが、firefox上で動かすブログエディタのfirescribe、あれも使いこなせませんでした。これはBlogWriteで分かっていたことですが、WISIWYGは、言われた通りにおとなしく使っている間は本当に便利。でも、もうちょっとこうしたいというときに俄然困ります。まあそれならHTMLでも使えるし、タグの挿入支援機能もあって、BlogWriteよりも親切。しかし問題はオフラインだとやりにくいこと。ローカルの別の場所にストックしておけない、というのも私にとっては厄介です。

ジャストシステムのxfy Blog Editor(無料版)、二度ほどインストールしてみましたが、これはまあ重いこと重いこと。尋常な重さではないので、ソフト自体がどうとかより、こちらのシステム内の何かが邪魔しているんじゃないかと思います。がしかし、原因を突き止めて解決する気力がない。たくさんの親切機能付きで、非常に後ろ髪を引かれるものの、クリックごとに待たされるのがどうにも辛抱できず、BlogWriteに戻ってきてしまいました。

結局、BlogWriteを使って書いたものを、ローカルの適当な場所にストックしつつ、好き勝手にだらしなくやれるfc2にアップするのが、いちばん気楽ということになりました。あちこちに散らばってるものは、ぼちぼちここに集めてこようと思います。読んだ順ではなくなっちゃうけど、まあ仕方がないや。

なみま雑記TB:0CM:0
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