常世国往還記

本と映画のノート



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Author:かもめ
読書と映画の鑑賞記録。
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魂の放浪

2007/06/14(木) 23:01:17

耳に残るは君の歌声
耳に残るは君の歌声(cinema)
監督 サリー・ポッター
クリスティーナ・リッチ、ジョニー・デップ、
ケイト・ブランシェット、ジョン・タトゥーロ
2000年 イギリス/フランス
posted with amazlet on 07.06.13

ナチスのポーランド侵攻前夜、東欧のユダヤ人集落に生まれ、迫害の中で父親と生き別れた少女フィゲレが、イギリスからフランスへと、西欧文化の中を流れ歩きながら、失われた父と心の故郷を捜し求める物語。

歌の上手な父親と、その血を引いた美声の娘。彼女の運命の転機には、必ず歌がからみ、音楽映画のような味わいです。
とりわけ印象的なのは、彼女が、イタリア人歌手の歌う「真珠取り」で一気に過去へ引き戻される場面。スージーと改名し、イギリス家庭で育ち、イギリス女性としてパリに渡り、西欧文化にどっぷりつかって、ユダヤ人だった昔がすっかり遠いものになっていたそのとき、父そっくりの美しいテノールを耳にして、思わず身を乗り出します。
そこへ偶然居合わせたロマの青年が、彼女のただならぬ様子に関心を寄せ…というところから、この二人の「血が血を呼ぶ」ような恋物語が、後半の中心となってゆきます。

居留地を渡り歩くロマの人々のように、フィゲレ=スージーも、村からイギリスへ、イギリスからフランスへ、フランスからさらに大陸へと生活の場を移していきます。
彼女を動かすのは、彼女の意思と同時に、父の祈りであり、祖母の思いであり、彼女を救った教師やオペラの座長、そしてもちろん、恋人の願い。彼らが彼女の求める「故郷」の象徴となる一方で、彼女自身が彼らにとっての、かけがえのない「無垢な希望」でもある。
一見、「母を尋ねて三千里」の同工異曲のようなこの作品は、彼らの側から見れば、故郷喪失者たちの受難と、「希望」を自由の天地に解き放つことによる救済を描いたものともいえるでしょう。


テーマソングの「暗い日曜日」は時代背景、「真珠取り」は、ストーリーの共通性(自らを犠牲にして好きな女を逃がす話)から選ばれたのだと思います。どちらも非常にポピュラーな名曲で、悪くはないのですが、「日曜日」は大戦中の話に使われすぎって気もするし、「真珠取り」はあまりにもメロドラマチック。まあ、どっちみちメロドラマだからいいのか…。
せっかく音楽好きのロマの人たちの話なのだから、もうちょっとそれらしい歌があればなあ。


ロシアからの亡命者で、堅実なスージーとは対照的に、享楽的で生に貪欲な友人を演じるケイト・ブランシェットが、別人かと思うほどのお色気と華やかさで、とても上手。彼女がいちばん現実的で痛々しい役どころです。
彼女の相手役となるイタリア人歌手も、時代の芸術家の典型。観客にはこの先が見えているだけに、単なる悪役とは思えない。
ジャン・レノから脂を抜いたような感じのお父さん、いいな~と思って見てたら、この俳優(オレグ・ヤンコフスキー)は、タルコフスキーの「ノスタルジア」の人でしたか。見違えました。

そして、ジョニー・デップは今更言うまでもありませんが…そもそもこの映画、シネフィルのジョニー・デップ特集でやってたのを見たのでした。その前にくっついてたインタビュー番組も面白かったです。
むこうの俳優の話を聞いてて凄いなと思うのは、みんな大学だとか映画スクールだとかで、演劇理論を一通り勉強しているんですよね。それに比べると、日本は個人の才能任せか、監督-俳優の徒弟制度みたいな勉強がほとんど。
ぽっと出のアイドル俳優で固めてる時点で、作品の厚み自体が違うのも無理ないかと思っちゃったのが、次に見た「デス・ノート」でありました。

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見た映画(DVD)TB:0CM:0

入隊一ヶ月

2007/06/13(水) 22:51:23



おお、奇跡的にひと月続いております。
残念なことに、成果は微妙なんですが…。
体重はマイナス1kg、そのほかの数字は小刻みに上がったり下がったりで、結局あんまり減ってないかんじ。
調べてみると、もともとピッタリ標準体重(理想体重?)、体脂肪も内臓脂肪も正常値、ということで、大して減る余地がないのかもしれません。
若い頃に比べると、衝撃的な体重増&サイズ増だったわけですが、当時が異常、今はむしろ健康体なんでしょうね。でもやっぱりもう少し痩せたい…。昔から今の体重なら何とも思わないけど、いちいち「太ったでしょ」と言われるのは嫌!

「まあ、しないよりは、したほうがマシなんじゃないですか?(薄笑い)」という3号の台詞をバネに、もう少し頑張ってみましょう。
体型とか体重はほとんど変わりませんが、体調はいいし、姿勢が良くなってるような気がします。

逃避していた3のAB(腹筋)プログラムですが、先週から、週一はがんばってみることにしました。特に寝てやる運動は、ほとんどついていけてないけど、「自分のペースで」「できる範囲で」というビリーの言葉を励みに、「keep moving」だけをこころがけて、できないところは無理せず、えっちらおっちら、普通の腹筋運動でごまかしています。

1→2→1→3→1→2、のように、軽めの1を合間合間にはさんでやっています。1はけっこう余裕、そろそろリズミーファイターからバンドへレベルアップを検討しています。2はあいかわらずつらいですが、大体はついていけるようになりました。ウン、確実に技術は向上してると思います!

なみま雑記TB:0CM:0

異国にて

2007/06/12(火) 19:28:34

カフカの友と20の物語
アイザック・B. シンガー 村川 武彦 訳
彩流社 (2006/06)

ユダヤの民族文学作家による短編集。
シンガーは1978年度ノーベル文学賞受賞、日本では児童文学の分野で知られる作家で、何冊か翻訳も出ています。
なんと、80年代の映画「愛のイエントル」(バーブラ・ストライザンド主演)の原作者でもあるのですね。旧弊なしきたりに逆らい、男装してまで学問を志す、勇ましい女性の自立を描いた作品で、けっこうヒットしていたのを思い出しました。

戦前から戦後にかけて、移りゆく世界にあるいは逆らい、あるいは流されるユダヤ社会を舞台に、市井の人々の日常の哀歓をつづった作品群ですが、宗教で結びついている彼らの精神世界を反映してか、神話のような、おとぎ話のような、素朴な幻想の香りが漂います。
味わいは異なりますが、ルーマニアの作家エリアーデなどにも、近い雰囲気が感じられ、東欧の精神風土に思いをはせたことでした。

非常に残念なのは、かなりの部分、文章が日本語になっていないこと。
英訳本(原文はイディッシュ語)からの二重翻訳であるためなのかもしれませんが、それにしてもテニヲハの間違いまで散見するのは、素人目にもちょっとひどい。
せっかく良い作品集なのに、もったいないです。どうせなら違う訳で読みたかった。


カフカの友: カフカの親友だったと称する落魄した男の、現実とも妄想ともつかないとりとめのない話。閉塞状況と奇妙な楽観がないまぜになった不可思議な感覚です。

ある冬の夜の客: つましい家庭に突然のりこんできて、居座ってしまった家なしの伯母さん。招かれざる客の、社会慣習とも道徳とも離れて、自由に与え与えられる屈託の無い生き方に、宗教的な理想世界が浮かび上がります。

: 社会に背を向け、自分ひとりの世界に閉じこもるかたくなな老女の絶望。前作の伯母さんとは対極の生きかたを描きます。世の中は、自分自身の心の反映であるということでしょうか。

ベーベル博士: 生まれながらのボヘミアン、伊達男の独身者ベーベル博士に突然訪れた「幸福な人生」のてんまつを描く笑話。幸せも所により人によるというお話。

ストーブを囲んで聞いた話: ユダヤ社会の伝統を垣間見る、民俗色豊かな作。ユダヤ教の学び舎に集う人々が、冬の夜長、こもごもに語る奇談。シンガーという作家のルーツを物語るような作品です。

カフェテリア: ブロードウェイの片隅にある、同胞たちが集うカフェテリアを舞台に、作者の分身とおぼしき成功したユダヤ人作家と、薄幸の女性との、途切れ途切れの淡い交情。中編映画になりそうな、美しく哀切な一篇ですが、残念ながら日本語が崩壊しています。

教師: アメリカで成功した「わたし」は、建国間もないイスラエルを訪れた折に、故郷で教え子だった女性と再会する。彼女の破綻した結婚生活を通して、現代のユダヤ人社会がはらむ矛盾を描いたもの。

: ドバトがほんとうに大人しくて無害かどうかはさておき、ユダヤ人迫害の暗雲が垂れ込めるポーランドで、鳩たちと静かに暮らすやもめの教授を襲う災難。ホロコースト前夜の不吉な物語。

煙突掃除夫: 働き者の煙突掃除人ヤシュが、ある日突然千里眼になっちゃった! 実直な庶民社会のヒーローをめぐる愉快な寓話。

: 宗教上の規律にのみ生きがいを求める男の運命。ユダヤ教の正統派のあまりにも煩雑な慣習を皮肉っています。

アルテレ: 祖母に育てられ、古い風習に従って生きる女性アルテレがたどる奇妙な人生。ジプシーと呼ばれる人々のバックグラウンドを見るようです。

冗談: ニューヨークに住む雑誌発行人が、ふとしたことから、ベルリン在住の真面目なヘブライ語学者にいたずらを仕掛ける話。お堅い学者のロマンチストぶりを笑うという趣向が、意外な方向に進んで…。

めかし屋: 常軌を逸した見栄っ張りで人生を棒に振る女の話。しかし、ここまでやれば立派という気もする、というオチです。

シュロイメレ: 渡米したものの、未だ売れない作家の「私」に「イエントル」舞台化の話を持ちかけてきた演出家のシュロイメレ。暗い世相を背景に、成功を夢見る二人の同病相哀れむ友情を描く脱力小説。

植民地: アルゼンチンのユダヤ人入植地(なんてあるんだ!)を訪れた「わたし」。古い家業も習慣も捨て、現地に同化して、現代社会のどこにでもある悩みをかかえる若い層と、どこへ行ってもユダヤ人でありつづける古い人々との対比を描きます。

涜神者: 信心深いユダヤ人庶民家庭に生まれた現代的な知性の悲劇。筋金入りの反抗期。

賭け: くだらない賭けで人生を狂わせた男。これも放浪者の物語です。

息子: 別れた妻が連れて行った息子との、二十年ぶりの再会に緊張する「わたし」。長い年月ののち、再び生きてめぐりあう運命の不思議と、ことばやかたちにならない父子の絆。

宿命: これはどこかで読んだことがあるような気がするのですが。情の濃い女性の報われない愛の悲劇、と見せて、実は普遍的にありそうな怖い話です。

神秘的な力: 神秘的な感応力を授かったために、過去にまつわりつかれる男の無間地獄。

そこに何かがいる: 神なき時代にラビとして生きねばならない男の、魂の彷徨。彼が最期に見たものは。宗教が成立しにくい現代における、受難と救済を考えます。

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孤独な幽霊

2007/06/09(土) 19:21:02

悪魔のひじの家(book)
ジョン・ディクスン カー 白須 清美 訳
新樹社 1998年


淋しい海辺に建つふるい邸宅、緑樹館を舞台とした殺人ミステリ。

初版は1964年。カー晩年の作品です。なつかしのフェル博士とその相棒が登場、というところが主な目玉です。
変わり者の主人、娘ほども年の離れた美人妻、アメリカ育ちの甥、性格悪い小姑、わけありの秘書、有能な弁護士、だらしない医者、といった面々に、遺産相続ネタをからめ、カー好みのオカルト味をまぶした、とってもスタンダードな密室もの。
まあ、カーの水準作といっていいのではないでしょうか。

からくりは当たったけど、犯人を読み違えた! 
う~ん、現代小説なら、こうじゃないと思うなあ…。絶対ちがうでしょ…。

訳者は若い人でしょうか。ところどころ表現が気になります。
特に、エステル叔母さんの言葉遣い。いくら性格がくそばばあでも、一応旧家のお嬢様育ちなのだから、もう少し気取ってるほうがそれらしかったのでは。これじゃ下町のおばちゃんだわ。

読んだ本TB:0CM:0

カルト集会に参加する

2007/06/09(土) 18:44:28

ひょんなことから、カルトの集会に参加しました。
ふるい友人と久しぶりに会う約束をしたら、当日になって急に「他の友達も来てるんだけど、一緒でもいいかしら」と言われ、なにか妙だなと思いつつも、何の気なしに承諾したら、実はそういうことだったわけです。

そこで即座に「こんな話なら、私は嫌だ」と宣言して帰ってもよかったんだけど、場の空気を乱すようだし、友人に悪いし、それに、どんなもんかしらと好奇心も手伝って、つい調子を合わせてしまいました。
まさに相手の思うツボ。2号にはさんざん気をつけろと言ってるくせに、だめじゃん。

それにしても、こういう人たちってやり方がほんとに上手です。
もちろん、「カルト」なんて、おくびにも出しません。「宗教」とも言いたがらない。まあ、「宗教法人」と冠がついてるのに、繰り返し「違います」と言うのが既に怪しさ100%ですが、ともあれ、あくまでも「学習会」「お勉強」と称します。
メンツは、友人も含めて、裕福そうで、きれいでお洒落で華やかな奥様ばかり。どういうものか、やたらビーズアクセサリを付けてる人が多かった。様子から見て、当然本物のジュエリーや高級ブランド品を持っているであろう層の人たちが、そろいもそろって、ビーズ&ノーブランドなところに、なにやら意図が感じられます。

皆が円座になって、社交クラブみたいな当たり障りの無い自己紹介が終わると、あらかじめ決めてあるらしい「本日のお当番さん」が、「お話」を始めます。中身は、この会でお勉強したおかげで、こんなに幸せになりましたという「体験談」。
というと、いかにもうさんくさいけれど、その話し方がまた、誠実そうで、感じよくて、嘘くさくない。ほんとうに巧み…というか、ご本人は、夫の出世や、子育ての成功や、思わぬ収入増などの「幸運」が、すべて会のおかげだと、心から信じているのでしょう。
他の美しき会員の皆様は、ポイントごとに、タイミングよくにこやかに頷き、笑い、感動し、拍手などして、なごやかに盛り上げます。

さて、このグループの中に、私ともう一人、彼女たちとは明らかに雰囲気の異なる、地味な感じの主婦が参加していて、やがてわかったのですが、本日のメインエベントは、この方の勧誘なのでした。お当番さんのお話のあとは、数名ずつのグループにばらけ、グループリーダーとおぼしき女性が、入会希望者に張り付いて、一本釣りにかかります。
現状に不満のある人が、「勝ち組」のオーラむんむんの彼女たちに囲まれ、夢のような成功談を聞かされ、「さあ、あなたも仲間に入って幸せになりましょう!」と言われたら、ついその気になるのも無理はありません。私も勧誘されちゃうのかな?と、怖いもの見たさでドキドキしてたら、あらら?私はスルーですか。
どうも、一目で「アレはダメね」と選別されてしまったようです。あれ、私、がっかりしてる。なんだか、「幸運の扉」から締め出されたような気分です。

これだ。
「入って~入って~」などと、大学の体育サークルみたいなベタな勧誘などしないのです。そんなことしたら、せっかく寄ってきたものも、怯えて逃げ出すに決まっていますから。強制はしません。あくまでも自由意志による入会(入信)が建前です。
撒き餌をし、他の魚が先に行くところを見せ、あわてて向こうから食いつくのを待つ。鮎釣りとはちょっと違うけど、こういうのも一種の友釣りだな。
オウムも、この手を使ったのでした。宗教などとは関係なさそうな、健康ヨガ教室に生徒を集め、それとなく教義を吹き込み、目ぼしい生徒に「位」を与えて優遇し、それを餌に残りを釣り上げる。人の心理を利用したうまいやり方です。

う、ちょっと危なかった。


帰宅後、どっぷり浸かってるふうの友人が気になり、「大先生」のお名前を手がかりにネットでぐぐってみました。
たぶんコレ、という団体がひとつヒットしました。幸い、ネット情報で見るかぎりでは、変なオカルト思想だとか、高額インチキグッズ販売などの極端なぼったくりはやっておらず、今のところ、家族が困っているとか騙されたとかいう話も無い。この手のものの中では、比較的たちのよさそうな団体でした。ネットだけでは何とも言えませんが、まあ、少し安心しました。
カルトが、すべて有害と決まっているわけではありません。
友人は、若い頃から何かと悩みの多い人生を送っています。少々胡散臭くとも、彼女にとって、そこが心の休まる場所なら、お布施に見合うだけの価値はあるのでしょう。

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近世の医療

2007/06/05(火) 16:01:09

疫病(ハヤリヤマイ)と狐憑き
   ―近世庶民の医療事情

昼田源四郎 みすず書房 1985年

はしかの流行が騒がれている今日このごろ。私が子供の頃は、小学校・幼稚園でのはしか騒ぎは日常茶飯事でしたので、大した病気とも思っていませんでしたが、この本で「疱瘡は器量さだめ、麻疹は命さだめ」という近世のことわざを、久々に思い出しました。昔は大人でも死んじゃう病気だったんですね。
今、はしかで怖いのは、予防接種前の乳幼児、それから稀に大人もかかる脳炎といったところ。深刻な難病です。死に直結することが少なくなったとはいえ、やはりなめてはいけないようです。


奥州守山領(現福島県郡山市)の、江戸中~末期の公務記録「御用留帳」中、医療に関する記載を拾い出して丹念に分析した著作。
精神科の医師でもある著者によって、専門的な解説も加えながら、明治以前の地方社会における医療事情が活写されます。

東北の寒村のこととて、飢饉・流行病、また貧困に伴う間引きの悲惨や、おまじない程度の貧しい医療技術などは、おおかた予想通りですが、その一方で、医療従事者の数が、今日の基準に照らしても十二分であることや、精神病者への人道的な配慮など、「実はそうだったのか!」と驚くような意外な事実の数々。何事も思い込みはいけません。

殊に詳しいのは、著者の専門である精神医療の分野ですが、その中でも、心神喪失状態での犯行については、殺人を含め、本人の責任を問わなかったことなど、西欧医学の普及以前に、早くも近代的な精神病観が発生していたことは、特筆に値するかと思います。
被害者への同情のあまり、感情的に結果責任を問い、報復刑の発想へ傾きがちな現在、あらためて見直すべき歴史的経緯ではないでしょうか。

衛生指導や、他出中の病人の取り扱い、牢内の医療、少子化ならぬ間引き対策等、封建制のもと、「生産力維持のために農業従事者数を確保する」という、為政者のご都合主義的な側面があるとはいえ、領民保護の立場から、少なくとも形の上では、近代的な人権擁護に近い施策が行なわれつつあったことがわかります。
明治期における爆発的な西欧思想の普及は、維新以前の基盤あってのものだったのですね。

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