常世国往還記

本と映画のノート



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かもめ

Author:かもめ
読書と映画の鑑賞記録。
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現在・過去・未来

2007/04/30(月) 22:51:31

日本という国
日本という国(book)
posted with amazlet on 07.04.30
小熊 英二
理論社 (2006/04)

著者は現在スーファミじゃなかった、慶応SFCの先生をしておられます。慶応ではよろず福沢先生のお話をすると、たいへん喜ばれますので、著者も現職に就かれるにあたって、改めてその著作等を読み直され、そんな中から副産物的に生まれた本ではないかと想像します。

理論社の「よりみちパン!セ」(パンのあとのびっくりマークは!何でしょうか!最後に「。」も付けてみると、よりイイ感じになるのではないでしょうか)シリーズの一冊。ヤングアダルト向けの新書で、対象は中学生以上とのことですが、うっとうしいくらいルビが振ってありますので、小学校の高学年くらいから楽に読めるでしょう。

しかし、本に限らず、大人向け読み物=基本ルビなしになったのは歴史的に見れば最近の話で、明治時代は新聞にだって、山ほどルビが入っています。当時は大人になっても漢字が読めない人が珍しくなかったからです。今の日本では、それだけ教育が国民全体に浸透したということですね。

第一部では、現在当然のように行なわれている「国民皆学」を提唱した福沢諭吉の「学問のすゝめ」から話を始めて、明治維新以降の日本の本格的な近代化とはどのようなものであったか、その結果、何が起こったかを説き、第二部では、第二次大戦終結から今日まで、日本がたどった道筋を、国民生活、政治、経済、外交など、いろいろな方向から見ていきます。

イデオロギー的な偏りを抑え、極力文献(子供向けにやさしく書き直してあります)と事実に語らせようとしており、状況を「どのように解釈するか」は読者の判断にゆだねてあります。とはいえ、従軍慰安婦問題など存在しないと考えるような、歴史修正主義の人々にとっては、これでも充分偏向的なのかもしれませんが、たとえば小中学生に、例の「美しい国」とやらの抽象論を具体的に考えさせてみるときの、副読本として活用できそうです。

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読んだ本TB:0CM:0

地獄からの生還

2007/04/29(日) 17:54:08

ワールド・トレード・センター スペシャル・コレクターズ・エディション
ワールド・トレード・センター(cinema)
監督 オリバー・ストーン
ニコラス・ケイジ、マイケル・ペーニャ、
マギー・ギレンホール、マリア・ベロ
2006年 アメリカ
posted with amazlet on 07.04.29

9.11ワールドトレードセンタービル破壊テロに巻き込まれた、ニューヨーク港湾警察署員たちの奇跡の救出劇を軸に、被害者とその家族、また救助にあたった人々の、不屈の勇気と真心を描いたいい話。事件の悲惨そのものよりも、周辺で起こる人間模様に光を当てた、ストーン監督らしい作品です。
実話に基づいただけに、スケールは大きくありませんが、こういうささやかな記録もあっていいと思う。

見た映画(DVD)TB:0CM:0

穴にはまって

2007/04/28(土) 22:31:44

穴 / HOLES
穴 / HOLES(cinema)
監督 アンドリュー・デイヴィス
シガニー・ウィーバー、ジョン・ボイト
シア・ラブーフ、ティム・ブレイク・ネルソン
2003年 アメリカ
posted with amazlet on 07.04.22


代々不運な家系に生まれついたスタンリー少年は、いわれの無い罪を着せられ、砂漠の真ん中にある更正施設送りになってしまった。施設に集められているのは、当然ながら、いずれ劣らぬ不良ばかり。彼らは、一滴の雨も降らない炎天下、怪しげな監視員たちの指示に従って、来る日も来る日も無意味な穴掘り作業を強制されているのだった。
ハードな人間関係とハードな肉体労働で、ヨレヨレになるスタンリー。彼はこの試練をクリアすることができるのだろうか?


スタンリー一家にかけられた悪運の呪いとは? 穴掘りは何のため? やくざっぽい監視員と女ボスの正体は? 無口な少年ゼロがスタンリーに親切なのは何故? そして、時々はさまる妙な昔話は、この物語とどうつながるの?
ストーリーに開いている、いくつもの「穴」。その穴が、ラストに向かって一つずつ埋まっていくという、洒落た趣向です。

ディズニーは、文科省推薦風のベタなアニメより、実写映画のほうがよっぽど気が利いてるのに、評判を取るのはアイドルスターを担ぎ出した「カリブの海賊」シリーズくらいですね。これは、子供向け映画ですが、男の子にも女の子にも楽しく、また、大人の鑑賞にも充分耐えます。作品全体としては、脚本がアニメレベルのカリブより上等じゃないかと思うのですが。
達者な役者陣が、コミカルに好演。特に、シガニー・ウィーバーの謎の女ボスは、クルエラっぽくてステキです。可憐なゼロ君も光っています。

見た映画(DVD)TB:0CM:0

仏式ハムレット

2007/04/27(金) 19:10:09

悪行の聖者 聖徳太子
篠崎 紘一
新人物往来社 (2006/09)


古代史上の超有名人物でありながら、謎につつまれた聖徳太子の生涯に、一風変わった設定を加えた歴史小説です。

この先、新史料発見なんてことはちょっとありそうにないし、本当のところは分かりっこないので、どんな想像もし放題。古代歴史小説は、ウソかマコトかではなく、読んで面白いストーリーと、多少の説得力があればOKだと思います。要は、作者の筆力次第、どれだけ「見てきたような嘘」を上手につけるかにかかっているのではないでしょうか。
この小説、「嘘」の部分の説得力はそれなりなのですが、残念ながら、思ったほど話が面白くありません。
古代の舞台装置の前でやっている現代劇のよう。現代人である我々にとって、心理的にわかりやすいのはいいですが、背景と登場人物がちぐはぐでヘンです。
こういうのを読むと、横光利一の「日輪」など、(特に好きな小説ではありませんが)大したもんだったんだなあと、あらためて感じ入りますね。

どうせ、リアリティなど望むべくもない世界なら、もう徹底して虚構にしてしまうほうが良かったのでは。
たとえば、「日出処の天子(comics)」。こちらは、同じ聖徳太子ものとはいえ、「そんなわきゃないだろコラ!」と言いたくなるような突拍子もないフィクションです。何から何まで普通でない(笑)人間離れした太子像に、非常な魅力がありますし、太子に振り回される蝦夷はじめ蘇我勢、あやしげな恋愛にからむ女性陣などなど、一応史実をなぞりつつも、作者が作り上げた別次元の世界の中に、きれいに収まっています。

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魔法が解けるとき

2007/04/26(木) 18:18:52

シンデレラ(book)
エド・マクベイン 長野きよみ 訳
早川書房 (1988/10)


ホープ弁護士の仕事を請け負っていた私立探偵のオットーが何者かに殺害された。オットーと個人的にも親しかったホープは、事件の真相を知るべく、彼が死の直前まで追っていた二件の調査について調べ始める。浮気調査と窃盗事件、いずれの件にも複雑な裏事情がからんでおり、知れば知るほど、殺害動機のありそうな人物は増えていく。
一方、ホープのあずかり知らぬところで、一人の娼婦を探す男たちが、彼女の近親者を次々に殺害していた。
行方をくらました娼婦「シンデレラ」とは何者なのか。また、彼女を探す目的は? オットー殺害とシンデレラの関係は?
ホープ弁護士は、出足の遅い警察を尻目に、錯綜する事件に分け入っていくのだった。


たかだか400ページにも満たない文庫のミステリーに、一週間もかかってしまいました。
何がややこしいって、名前の多いこと! 一人の人物に、偽名やら通称やら、複数の呼称があって、読むたびに誰が誰やらわからなくなる。そればかりか、パラグラフごとに、三人称の「彼」「彼女」の指す対象がころころ変わるので、もう大混乱です。
ガラスの靴をはいたシンデレラのように、誰もが時と場合によって、全く違う人物に変身します。あるときは加害者にも、あるときは被害者にも。そして、シンデレラの秘密を知った者には死が待っている。

「変身」をキーワードに、複雑なストーリーが展開します。ビジュアル情報のない、テキストによるミステリーの醍醐味。「名前」と「本体」のズレも、事件の混乱要素として面白い働きをしています。
シリーズお約束の、ホープと元妻スーザン、難しいお年頃にさしかかった娘ジョアンナのからみも、実はシンデレラ物語に重ねてあるという凝りよう。探偵のキャラクター小説に堕しがちなシリーズ物としては、出色の出来だと思います。

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損な取引き

2007/04/25(水) 18:21:11

エド マクベイン 喜多 元子訳
早川書房 (1991/06)


その夜のホープ弁護士には、まるきりツキがなかった。
帰宅途中に立ち寄った居酒屋で、二人組のゴロツキにからまれて、ガールフレンドの目の前でボコボコにされ、意気消沈しているところへ、ベッドでなぐさめてくれるはずの彼女からの別れ話。そしてトドメは、依頼人が殺害されたとの知らせ。
死んだ顧客は、ジャックという二十歳になったばかりの男。この高校生に毛の生えたようなガキが、気でも狂ったか、荒れ果てた豆畑を法外な高額で買おうとしており、その法的手続きをホープに依頼していたのだ。
依頼主の若さと取引の無謀さもさることながら、即金で支払うという点にひっかかるものを感じていたホープ。取引とジャックの死に関係はあるのか。彼はなぜ、あんな荒地を買おうとしていたのか。また、彼の所持していた現ナマの出所は?
不得要領のまま、中断した契約の後始末というさえない仕事をまとめるために、ジャックの実家に向かったホープだったが。


「87分署」シリーズで知られるマクベインの、比較的新しいシリーズものです。男っぽい87分署の面々に比べ、やさ男でちょっとヘタレ、バツいちの子持ちという、非常に現代的なキャラクターのホープ弁護士が主人公。童話にちなんだタイトルがお約束のようです。
現実離れしたトリックも驚くようなタネあかしもなく、ほぼ予想通りの穏当な展開ですが、登場人物が多彩なことと、フロリダの牧畜業についての薀蓄に、紀行文的な楽しさがあり、読み物としては水準以上です。

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スクリーンの恋

2007/04/24(火) 17:50:55

holiday.jpgホリディ(cinema)
監督 ナンシー・メイヤーズ
キャメロン・ディアス、ジュード・ロウ、
ケイト・ウィンスレット、ジャック・ブラック
2006年 アメリカ 

LA在住、ハリウッド映画の宣伝フィルム制作で大成功したアマンダ。ロンドン郊外在住、そこそこ筆の立つ雑誌記者のアイリス。全く接点のない二人が、クリスマス直前に失恋し、半ばやけくそで「ホーム・エクスチェンジ」を思い立ったことから始まるドタバタのラブコメディ。


「ホーム・エクスチェンジ」というのは本当にあるシステムだそうで、言葉通り"お家の交換"のこと。期間限定とはいえ、素性のわからない他人を家に入れるなんて、私にはちょっと考えられませんが、暮らし方によってはこういうことも出来るのかなあと。


一見ばかげた恋愛映画ですが、これが意外と楽しい。実は設定から何から、ほとんど過去の映画作品のパロディでして、「映画みたいなお話から元気をもらいましょう」という、過去作品へのオマージュになっています。
特にオールド映画ファンにはお楽しみがいっぱい。老脚本家アーサーが語る作品や俳優、さあ、どれだけネタがわかるかな? 長大なエンドクレジットもどうぞお見逃しなく(いやあまさか、全部並べてみせるとは思わなかったです)。ちなみに、アーサーの記念講演の台詞も、何年か前のアカデミー賞授賞式で聞いたような?
私は、ジャック・ブラックの「口三味線でおくる映画音楽史」が最高にツボでした。あのシーンだけでも、一見の価値はあります!


意外な大物のカメオ出演。エドワード・バーンズ、出番はあれだけ? リンジー・ローハン、あのためだけに出たの?などなど、主演の四方のみならず、有名俳優をさりげなく贅沢に使い倒して、ツウをくすぐる嫌味のない作品となりました。


キャメロン・ディアスはさすがに小じわが目立つようになりましたが、スタイルの良さと明るいイメージで、ギリギリ何とかなってます。ケイト・ウィンスレット、この人は、意外と演技をしますね。つまらない恋にひっかかってダメダメの導入部で、「美人なのにイケてない」雰囲気の出し方はお見事。造作はいいのに地味でイモくさい姐ちゃんが、ロスの太陽の下で、みるみるきれいに変身しますよ。ジュード・ロウは、美形すぎて個性がない典型みたいな俳優ですが、これは年を取って良くなりました。ちょっと前ならヒュー・グラントが演ったに違いない役どころに、ぴたりとはまっています。当分この路線でいくかも。そして、四人の中で一人だけ美形でないジャック・ブラックですが、この人のおかげで、なんとなくおさまりが良くなりました。抜群の芸達者ですし。


というわけで、楽しくてあっという間の二時間だったのですが、一つだけ難を言うなら、この公開(三月)、完全な時期ハズレです。これ、クリスマス映画じゃないのサ!せめて、お正月くらいに出してもらいたかったですね。
DVD鑑賞なら、絶対にクリスマス前後がおすすめです。最後のオチは、あれこれ文句をつけても始まりません。クリスマス映画は、ハッピーエンドがお約束なのですから。

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悪夢をめぐる旅

2007/04/22(日) 17:34:45

4102160191サイレント・ゲーム(上)(下)(book)
リチャード・ノース パタースン 後藤 由季子訳
新潮社 2005-10

by G-Tools


サンフランの売れっ子弁護士トニーには、暗い過去があった。
片田舎の町、レイクシティで過ごしたハイスクール時代、恋人のアリスンが何者かに殺害され、第一発見者である彼に容疑がかかったのだ。ラヴィン弁護士の助けで、起訴はまぬがれたものの、真犯人はあがらず、事件はすっきり解決しないまま、彼は人々の疑惑の目に追われるように町を去る。
その後、二度とふるさとを訪れぬまま、長い年月が流れ、当時の自分と同じ年齢の息子をもつ父となった彼に、突然、当時の親友サムの妻スーから、依頼の電話が入った。現在、母校の教頭を務めているサムに、あろうことか、教え子殺害の容疑がかけられているというのだ。
二人は、事件以来のけ者になっていたトニーに、最後まで友情を示してくれた、数少ない友達。その上スーとは、アリスン亡きあと、友人以上の関係だったこともあった。
スーとサムを助けるため、そして、自らの過去を清算するために、トニーは28年ぶりに、因縁のレイクシティに向かう。


子供の眼」では、もっぱら法廷描写が見事で、人間を書くほうはうまくないなあと思ったパタースンでしたが、この小説は一転して、心理劇のようです。
第一部では、トニーの青春時代の記憶、そして、彼のその後の人生の通奏低音となった事件を、第二部では、サムの起訴に至るまでのトニーの調査や、検察との駆け引きを丹念に追います。法廷に入る前から、既に裁判は始まっているのですね。例によって、あちらの裁判制度のお勉強にもなります。
第三部は、いよいよ法廷劇。検察との丁々発止のやりとりを描いて、スリリングな展開です。そして、終局となる第四部。これは、裁判の後日談にあたりますが、ここに至って遂に、原題「Silent Witness」(物言わぬ目撃者)の意味が明かされます。

トニーとサム、それぞれの事件は解決するのか、真犯人は現れるのだろうか、という興味とともに、十代の切ない思い出、未熟ゆえに無垢で一途な情熱や葛藤のほほえましさと哀しさ、小さな田舎町の小さなコミュニティと、そこに生きる人々の移り変わりなど、事件の背景が活写され、思わず引き込まれます。
ここには、絵に描いたようなヒーローも、完全な悪役もいません。どこにでもいそうな、平凡な登場人物の一人ひとりが、細かく彫り上げられ、リアルな存在感を持っています。
誰も―トニーさえ―完全な善ではありえず、憎むべき悪意もまた、苦しみや悲しみにつつまれているのです。

プロテスタントとカトリックの宗派対立や、人種問題など、「そこそこ豊かで平和なベッドタウン」の陰に見え隠れする瑕疵。犯罪を生み出す原因の一端をになう社会的な環境についても、作者のしっかりしたまなざしが感じられます。
ウォーの「この町の誰かが」と似ていますが、より深く、より現実味を帯びて、読後に何ともいえない余韻が残りました。


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人喰いの世紀

2007/04/20(金) 16:15:57

ハンニバル・ライジング 上巻 (1)
トマス・ハリス 高見 浩訳
新潮社 (2007/03)

リトアニアの貴族の家庭に生まれたハンニバル少年は、幼くして既に類まれな頭脳の片鱗を見せ始めていた。
豪奢な居城で、亡命ユダヤ人学者ヤコフ先生を家庭教師に、この世界の仕組みを学びつつ、優しい両親や忠実な使用人たち、そして最愛の妹ミーシャに囲まれた彼の幸福な幼年時代は、しかし、ドイツ軍のソ連侵攻によって無残にも打ち砕かれる。
混乱の中で、城も財産も奪われ、親しい人々をすべて失い、からくも一人生き残った十三歳のハンニバルは、戦後、フランスに住む叔父夫婦に引き取られるが、凄惨な体験のショックから、記憶と言葉を失っていた。
高名な画家の叔父と、その妻である美しく淑やかな日本女性、紫夫人の庇護の下で、彼は徐々に本来の自分を取り戻す。だが、利発で穏やかな少年の心の奥で、妹の記憶と共に、人として最も大切なものが欠落してしてしまったことに気づく者はなかった。
やがて、彼の周囲で起こる猟奇事件。捜査に当たったポピール警視は、異様に冷徹で、子供らしい動揺を全く見せないハンニバル少年に、疑惑の目を向け、執拗に接触するが…。


「レッド・ドラゴン」でデビュー、「羊たちの沈黙」でブレイクした(笑)、怪物カニバル・ハンニバルことレクター博士の生い立ちから渡米までを描いた、シリーズ第四作。
前作「ハンニバル」での挿話を受けて、聡明で無邪気な天使が、想像を絶する経験を経て、世間を震撼させる悪魔と変じるまでを描いています。

そこはまあいいのですが、今回は、ヒロインが日本女性であることから、全編に日本趣味をちりばめてありまして、残念ながら、日本人としては何かと引っかかります。細かい点には目をつぶるとしても、全体に、平安貴族趣味と武士道という、ガイジンの好きな二大ニッポン文化がごった煮になっているあたりがどうも、取って付けたような感じです。(これでニンジャが出てくれば完璧だったのにねえ。)

紫夫人のやることも言うことも、西洋から見た「日本女性」のイメージを継ぎはぎしたアンドロイドみたいです。多少原文から逸脱してでも、言葉遣いなり何なり、和訳のほうで雰囲気を補えば、少しはどうにかできたような気もするのですが、時代がかった(昭和ですらない)内容の会話を、現代女性の口調で喋るものだから、何ともいえず妙な雰囲気。
ちなみに、名前の「紫」も、「紫の上」にちなんだのかと思ったら、式部のほうなんだそうで、これも、ちょっと違うのよ~と言いたくなりますね。

日本文化に限らず、今回は全体に、ハリスにしては作りこみが足りない印象です。
ハンニバルのトラウマについては、ほとんど前作を踏襲しただけだし、登場する悪役も平凡。レクター城のご家族をはじめ、せっかく実在のモデルまである叔父さんさえ、お上品なだけでキャラが薄い。彼よりシーザー(馬)のほうがまだしも印象的です。
マダム・バイオレットが戦中・戦後に置かれた微妙な立場だとか、今風のセクハラや人種差別なんかより、ずっと「お話」になりそうなネタが、いくらでも転がっているのに、表面的・断片的なエピソードだけで流してしまっているのはつまらない。
ポピール警視についても、書き込み不足のようです。敵味方はっきりしないところは面白いですが、のちのグレアムのように奇妙な共感が生まれるわけでもなく、頭脳戦での好敵手にもならず、何につけても中途半端で、出番が多い割には個性にも魅力にも乏しく、ハンサムという以外に何が取り得なのか、よくわかりません。こちらも、占領下のフランスでの精神的な葛藤を、もっと前面に出せば、性格に厚みが出て、存在感が増したのではないでしょうか。

結局、始めに映画化ありき、ということで、映画公開に併せて慌てて書いた、裏話的な読み物なのでしょうか。
ハリスはこういうことはやらない作家だと思っていたので、ちょっとガッカリです。
映画メインなら、それはそれですが、さすがにこれをスクリーンで見るのはいやだな。

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忘れじの日々

2007/04/19(木) 22:21:46

グッバイ、レーニン!
グッバイ、レーニン!(cinema)
監督 ヴォルフガング・ベッカー
ダニエル・ブリュール、カトリーン・サーズ、
チュルパン・ハマートヴァ、マリア・シモン
2003年 ドイツ
posted with amazlet on 07.03.31


ドイツ統一前の東独・ベルリンで生まれ育ったアレックス青年は、反政府デモ参加中、官憲に逮捕されてしまった。その瞬間を偶然目撃したママは、心臓発作を起こして人事不省に。
パパが家族を捨てて、西側の女のもとに走って以来、自由主義を憎み、共産政権下で模範市民としての活動にまい進してきたママ。そんなママにとって、アレックスの行為は普通の親以上にショックだったのだ。
責任を感じ、懸命に看病するアレックス。その甲斐あって、数ヵ月後、ママは奇跡的に意識を取り戻した。だが、病状は依然として深刻で、ちょっとしたショックやストレスも命取りになるから絶対に避けなくてはならないという。
「そんなこと言われても…」
当惑するアレックス。というのも、ママが意識を失っている間に、東西ドイツは再統一、ベルリンの壁は壊され、西側の富や文化が一斉に流入して、町の様子は一変してしまっていたのだ。「西」嫌いのママが、こんな祖国を見たら…!!
アレックスは、大切なママのために、旧ベルリンを再現すべく奔走するのだが。

ダサイ服、貧しい家具、まずい食料品…ここまでやるか、というくらい、復旧に情熱を傾けるアレックス君を笑いながら、やがて、彼や協力者たちの熱意が、ママのためだけではないことに気づかされます。
東西統一によって、西の同胞と再開できたし、自由や物質的な豊かさや、良いものがたくさん入ってきた。でも、目先の幸せに気をとられて、何か大切なものを忘れてしまってはいないだろうか。
社会主義の敗北が明白となった昨今ですが、中国の格差の報道などを見るにつけ、おそらく遠くない将来、好むと好まざるとにかかわらず、反省と見直しの時が来るだろう、そしてその結果が、今世紀の新しい理想や目標を規定していくことになるだろうと思います。

単に懐旧というだけではない、皆の心の中の小さな痛み。そして、信念の人であるママにも、誰にも言えなかった苦い秘密があって。
地味ながら、歴史の流れに翻弄される庶民の哀歓を描いた佳作です。

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ゲームは二十歳になってから

2007/04/18(水) 18:36:01

脳内汚染
脳内汚染(book)
posted with amazlet on 07.04.05
岡田 尊司
文藝春秋 (2005/12)


主にコンピュータゲームが、子供の脳におよぼす悪影響に警鐘を鳴らした本。出版当時、ネットで大たたきにあっていたものです。
以前読んだ、同じ著者の「悲しみの子供たち」は、専門家らしく、どちらかというと地味なケーススタディ調で、どう見ても叩かれるような内容や文章ではありませんでしたが、本書はまた何で?


コンピュータゲームに習慣性があるというのは、考えてみれば当たり前の話です。繰り返しやりたくなるような「面白い」ものでなければ、商品価値がありません。わざわざクソゲー買うバカなんているでしょうか。子供にしろ大人にしろ、みんなが欲しがるゲームは、繰り返しやりたくなるように、うまく出来ているものです。誘惑に弱い小さな子供が手にすれば、他の事はそっちのけではまってしまうのは、むしろ自然なことでしょうね。

ただ、おもしろいのはいいけれど、成長期の子供が、朝から晩まで室内に座り込んで、こんなものにばかりとりついていたら、成長に悪影響があるに決まっています。
ゲームに没頭すれば、現実との区別がつきにくくなるのも、子供なら当然の話。子供の世界で、現実と仮想が交錯するのは、何もゲームに限ったことではありません。うちには、十六にもなって、ホラー映画でトイレに行かれなくなった人がいるくらいなんだから。
ゲームでスカっとしたことを、現実でもついやってみたくなっちゃう…そういうこともあるでしょうね。
小学生が殺人ゲームやエロゲなんて、ああとんでもない! ゲーム危ない!ゲーム良くない!

だから(二十歳は冗談としても)「子供はゲーム禁止にしましょう」という著者の主張は、多少極端とは思うものの、とりたてて反論すべき点も見当たらないのですが、実際に読んでみると、論旨にちょこちょこ瑕疵があるんですね。
たとえば、ゲームと子供の問題行動の関係を論じる根拠とされている「寝屋川調査」なるものですが、これが、どんなものなのか、読んでいてよくわからない。何がどれの何倍あって、というような書き方でなしに、生の数表やグラフなどをもっと入れて、数字自身に語らせることはできなかったのでしょうか。全体の調査票も欲しかった。
引用が部分的で、かつ具体性を欠くために、都合のいい部分だけを取り上げているのではと疑われかねません。

少年犯罪が急増しているかのような書き方もまずい。少なくともわが国では、戦後の一時期なんかより、現在のほうが、件数はずっと減っていますし、特に凶悪化しているという根拠もないはずです。社会環境の異なる外国の数字と、国内の話がごっちゃになっているように読めるのも良くない。世界の傾向と国内の実情はきちんと分け、できれば数ではなく、質のほうを問題にすべきだったと思います。

無理に他人の作った統計資料を根拠とするよりは、「悲しみの…」のように、著者の職業上の経験に基づいて論じたほうが、よほど説得力があったのではないでしょうか。主張はまともなのに、つまらないところで揚げ足を取られ、損をしているような気がします。

それにしても、ゲームの害を論じた本って、「ゲーム脳」にしろこの本にしろ、どうしてこう扇情的なタイトルがついているのかしら。「ゲーム脳のナントカ」は未読ですが、少なくともこの本の内容は真面目なものなのに、びっくりマークが四つくらい付いちゃいそうな題名が、まっくろな表紙に禍々しい雰囲気でどーんと並んでちゃあ、見るからにやらせっぽい…。逆効果じゃないのかなあ。


ところで、うちにも普通にゲーム機があって、子供も昔からそれなりにゲームをやってるので、私も脇からチラホラ見ていますが、ゲーマーの皆さんがおっしゃるように、ゲームそのものが害悪というわけではなさそうです(中にはかなりひどいのもありますが、それは書籍に猥本があるようなものです。すべてのゲームが悪いわけではない)。そこがやはり、麻薬とは違います。まあ、有益とも思わないけれど、トランプなどと同じように、何人か集まった時の遊びネタの一つですね。
種類を選び、限度を超えなければ、子供がやってもそれほど害になるとは思えません。

問題は「種類を選び、限度を超えなければ」←ここです。これが、簡単なようでなかなか出来ない。
子供もある年齢になれば、自己抑制がきくようになるし、第一ゲームばかりやってるほど暇じゃないので、自然と遠のきます。ほっておくとサルのようにやり続けて、ゲームから離れられなくなり、習慣化してしまう危険年齢は、せいぜい小学生くらいまででしょう。外部コントロールの必要な期間は、たいして長くありません。
しかし、そのわずかな期間、子供の行動と生活時間を管理できる家庭が、だんだん少なくなっています。

これは、家庭の教育力がどうのこうのという話じゃありません。共働きの核家族が珍しくない現状では、家庭が子供の行動を管理すること――時間を制限したり、よろしくないゲームを禁止すること――が、物理的に困難になりつつあります。だってパパもママもおうちにいないんだもん。
うちはゲーム機持ってないから/厳しく言ってあるから、大丈夫!と思っていても、親の留守に他の子が持ち込んだり、よその家に行ってやったりする場合もあります。
低学年のうちは、まだ大丈夫です。学童もあるし。でも、集団遊びが始まり、子供だけで遊びたがる年齢になると、コントロールは俄然難しくなります。子供はうるさい親がいない子の家に溜まりがちです。親が常駐している家の子だって、外へ出したが最後、絶対に大丈夫とも言えません。友達と遊ばせなければ、外へ出さなければ…もちろん、それはそれで、もっと問題です。

各家庭の自覚に訴えたところでどうにもならない現実がある以上、いっそ著者が言うように、何歳以下は禁止、と決めてしまうのも一つのやり方だと思います。
もちろん、そんな規則があっても、やらせる家はやらせるでしょう。高校生に酒を飲ます家があるのと同じですよねえ、監督。黙ってりゃわかりませんもの。
それでも、法律で禁止となれば、多少なりとも抑止力はあるんじゃないでしょうか。

読んだ本TB:0CM:0

ゾッとするよな…

2007/04/15(日) 16:02:38

呪怨 劇場版 デラックス版
呪怨(cinema)

監督 清水 崇
奥菜恵 伊東美咲 上原美佐
2003年 日本
posted with amazlet on 07.04.10

ホーンテッドうさぎ小屋のお話。狭いなりにいろいろできるものですね。

しかし、怖いというより汚らしかったです。
公衆女子トイレの洗面台みたい…。
「不潔!」という恐怖。それはそれでホラーか。

見た映画(DVD)TB:0CM:0

「私」の在り処

2007/04/13(金) 16:54:36

わたしを離さないで
カズオ イシグロ
早川書房 (2006/04/22)

終始、女性「介護人」であるキャシーの独白、つまり「わたし」という一人称の語りからなっています。
タイトルの「わたし」は語り手であるキャシーのことを指すのか。読み手に素朴な予想を抱かせつつ、物語は始まります。

「介護人」という言葉から連想するのは、老人施設の職員ですが、どうもそうではないらしい。彼女の介護の対象は、「提供者」という聞きなれない存在で、その中には、彼女の古い友人たちも含まれている。つまり、彼女にとって、介護の対象は、老人や障害者などではなく、年齢も境遇も自分と同類の人たちらしいということが分かってきます。
やがて話はキャシーの子供時代に飛びます。舞台はヘールシャム。寄宿学校とおぼしきその施設での、子供らしい平凡なエピソードが、次々に語られてゆきます。しかし、この種の学校にしては珍しく共学であることを含めて、彼女たちの置かれた環境や、教育内容などには、奇妙な点がいくつも見いだされる。
読者の予想に反する小さな齟齬が積み重なって、次第に異様な物語世界が立ち現れてくるのです。

語られないことの中にこそ語るべきことがあるという、巧みな修辞に驚嘆させられます。最後の種明かしでさえ、言及されない膨大な背景の中の、ほんの一部にすぎません。(たとえば、エミリ先生と車椅子の関係について。たとえば、キャシーが異例の長期にわたって「介護人」を務め続けることについて。)
シチュエーション自体は、SF小説の世界ではもはやありきたりなものですが、作者の目的は、未来社会への警鐘とか、科学技術に対する疑問などの表面的な部分にはなく、タイトルに示す通り、社会において、「あなた」でも「彼」でもない、人間ひとりひとりの存在の基盤となる「私=ME」の本質を考えさせることでしょう。

この物語を、人種隔離政策や格差社会、アメリカのイラク支配、あるいはまた、解説にあるような英国の社会思想問題になぞらえることもできるし、もっと広く、個人の生活や感情までもが当たり前のように切り売りされる、現代の経済社会そのものと見ることもできます。
キャシーたちのルーツであるヘールシャムは、私たちが既によく知っている世界なのではないかと思えてきます。

SF的な架空の設定の上に小説を構築するのは、もともとSF作家に分類されるイーガンやレムなどがそうですし、アーサー・クラークにも一部その傾向がありますが、彼らの作品が、人間の存在の内面に分け入って、形而上的に深化するのに対し、この小説の主題は、普遍的な社会と個人の問題に還元され、虚構でありながら虚構でない。あくまでも現実社会とリンクしているところが、この著者らしいと思います。

読んだ本TB:0CM:0

犬も食わない

2007/04/13(金) 14:06:12

Mr.&Mrs.スミス プレミアム・エディション
Mr.&Mrs.スミス(cinema)
監督 ダグ・リーマン
ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー
(2005年 / アメリカ )
posted with amazlet on 07.04.10

大恋愛の末結婚した、人もうらやむ美形カップルのスミス夫妻も、やっぱりそろそろ倦怠期。
この結婚も潮時かな。やっぱりフツーの相手との平凡な結婚生活なんて、ガラじゃなかったんだよな~。
お互い、腹の中で全く同じことを考えているとは夢にも知らないお二人。表向きフツーの勤め人をよそおってはいるが、実は二人は二人とも、フツーどころか、プロの殺し屋だったのだ。
とあるミッションでバッティングして、初めて互いの正体を知った夫妻は、抹殺すべき商売敵としてあいまみえることとなってしまった。


ブランジェリーナご夫妻のなれそめ作品。
非常に豪華なアイドル映画です。こういうバカバカしいものに、大金かけちゃうところがハリウッドらしくていいですね。アクションも迫力あります。
なれそめからして、変だろうが。最初に気づけよって感じの無理のあるストーリーですが、まあ主役を鑑賞する映画なので、こんなもんでOKだと思います。お幸せに。

見た映画(DVD)TB:0CM:0

法廷闘争

2007/04/04(水) 18:43:53

子供の眼〈上〉
リチャード・ノース パタースン 東江 一紀 訳
新潮社 (2004/01)


女性弁護士のテリは、最低男のリッチーとようやく離婚にこぎつけたものの、一人娘の養育権を相手側に奪われ、娘可愛さに元夫との腐れ縁をなかなか断ち切ることができずにいた。せっかく憧れの上司であるクリスと相思相愛になったのに、次から次へと金の無心を畳み掛け、クリスやその息子カーロにまで嫌がらせを仕掛けるリッチーのせいで、憂鬱の種は尽きない。「あんな男、死ねばいいのに!」テリの堪忍袋の尾も切れかけた矢先、当のリッチーが、別人のように気弱な反省文を残して、突然自殺した。
リッチーらしくない死に方に不審を抱きつつも、とりあえず心の重石が取れてほっとするテリ。しかし、案の定、警察は他殺を疑い、動機のあるクリスが容疑者として検挙されてしまった。
有力な証拠を掴んで高圧的に迫る検察に対し、クリス側も腕利きのマスターズを弁護人に立てて応戦するが、複雑な利害と感情がからみあって、関係者全員を巻き込んだ裁判の行方は、二転三転する。
悪霊よろしく、死後もなお皆を悩ませるリッチー。テリとクリス、そして子供たちにに安らかな生活が戻る日はくるのか。また、リッチーの死の真相はどこに。


人物像がアニメ級に類型的。善玉悪玉があまりにもはっきりしすぎて深みに欠けるし、謎解きも大したことないのでミステリ性もいまいち。ただし、元弁護士の著者の手になるだけあって、法廷シーンに圧倒的な迫力があります。
事件もロマンスも、全部オマケのようなもので、目玉は検察と被告側弁護士の知恵比べ。本書の主人公は、実はクリスでもテリでもなく、超敏腕弁護士キャロライン・マスターズでしょう。
陪審団を相手に、(被害者以外)誰も傷つけることなく、不利な状況をどうやって覆すのか。判決の行方は、最後まで予断を許しません。

陪審員の選定を始め、検察や司法との駆け引き、証人の扱いかた、陪審へのアピール、未成年者への配慮など、裁判にまつわるあれこれが丹念に書かれてあって、たいへん面白く読めました。

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