常世国往還記

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読書と映画の鑑賞記録。
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絵画療法

2006/11/22(水) 21:14:22

シャルビューク夫人の肖像
ジェフリー・フォード 田中一江訳
ランダムハウス講談社 2006年

ひたすら無難な作品で世過ぎをしている、二流肖像画家のピアンボは、今日も今日とて、わざとらしく美化した肖像画で、かえってモデルの女性を傷つけてしまった。
こんな画家になりたかったわけじゃない、対象の内面に分け入るような、本物の芸術家を目指していたのに…。
自己嫌悪に陥る彼の前に、盲目の男が現れ、女主人の肖像画を依頼する。高額の謝礼に釣られて訪れた彼女、自称シャルビューク夫人の屋敷で、彼は、“屏風の向こうの見えない彼女を描く”という、途方も無い注文を出される。屋敷に通い、屏風越しに交わす会話を参考に、想像で描けというのだ。
これは、“対象の内面を描く”ためにはもってこいのトレーニングになるかもしれない。思い切って依頼を受けたピアンボだったが、屏風の向こうの夫人は、“面接”のたびに、奇怪な身の上話で彼をケムに巻く。画家は、相手のペースに完全に翻弄され、人となりを想像するどころではなく、仕事はさっぱり進まない。
からかわれているのだろうか? いったい彼女の目的は何? 意地になったピアンボは、どんな手段を使ってでも彼女の正体を暴き、見事肖像画を描き上げてやろうと決意するのだったが…。

ピアンボの空想やら妄想やらに連動して、肖像画も、天使になったりエロ画像になっちゃったり。結局、彼が描いているのは、自分自身の心でしかない。…とくれば、彼女を描くために何が必要か、おのずと見えてきます。


どうも苦手なアメリカの幻想文学。発想や設定はすごく面白いのですが、テーマがわかりやすすぎる。この小説も、凝った道具立てで華やかに飾りつけてはありますが、結局行き着くところは幼少時のトラウマ、という、ありがちなオチになってしまう。またトラウマか。
歴史の浅い国の小説だからか、空間の広がりはあっても、時間的な奥行きに欠ける(三代前から先は、いきなり神様に飛んじゃう、みたいな)のも、余韻に乏しい原因のような気がします。

 
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読んだ本TB:0CM:4

プロパガンダ?(ネタバレあります)

2006/11/20(月) 17:04:51

Vフォー・ヴェンデッタ 特別版
Ⅴ フォー・ヴェンデッタ(cinema)
監督 ジェームズ・マクティーグ
ナタリー・ポートマン,ヒューゴ・ウィービング,
スティーブン・レイ,ジョン・ハート
2005年 イギリス/ドイツ
posted with amazlet on 06.11.17
舞台は未来のロンドン。夜間外出禁止令をおかした少女イヴィーは、権力をかさに着たゴロツキのような秘密警察官たちに乱暴されそうになる。そこへ現れたのは、奇妙な仮面を被った謎の人物。彼?は、瞬く間に男たちを倒し、呆然とするイヴィーを「音楽会」に誘う。しかし、彼らが向かったのは、ホールでもスタジオでもなく、とある建物の屋上。そこでイヴィーが目撃したものは、長い年月をかけて入念に準備された、壮大な復讐劇の序曲だった。
ファシズムと管理社会に対する抵抗を描いた、ベタベタの政治映画……かな?


クサイです。ファシズムも管理社会も、壮絶なくらい紋切り型。コドモ騙し。
まあ、原作がマンガじゃ、こんなもんか。途中で見るのやめちゃおうかなーと思ったくらいでしたが、進行につれて、いろいろとひっかかるところが出てきて、結局終わりまで観てしまいました。
この映画、果たして見た目どおりなのか、それとも。

表面的には、ナチを思わせるファシスト政権から国民を解放し、抑圧された人間性を回復して、自由を取り戻す、というストーリーです。
しかし、その手段が暴力的なテロ行為って、どうなの?(無関係の一般市民も巻き添えになっているはず。それはいいのか?) とか。

あるいは、?がイヴィーに対して行ったことは、彼女の人格や意志を尊重しているとは思えない件。(私が彼女なら、まずVをぶん殴りますね。許さん。)目的が正しいのだから、結果として彼女のためになるのだから、OKだ、というのなら、結局、政府が治安を維持するためとか、国民を守るためと称してやっている管理政策と何も変わらないんじゃないの? とか。

なかなか印象的なラストシーン、あれも、「みんなの心がVと一つになった」という表現とも取れるけれど、逆に、Vの思想に踊らされた大衆の、(人間性の回復とは対極にある)個性喪失の象徴にも思われます。

独裁政権を倒した、そこまではいい。しかし、果たして、あの馬鹿げた仮面をはずしてからも、人々の心はひとつであり得るのでしょうか。残ったものは、混沌と、権力をめぐっての同士討ち、なんてことにならなきゃいいですが。
2005年公開ということで、例の戦争との関連も考えてしまいます。


wikiによれば、原作はこれほど変な話ではなく、ありがちなコミックのようです。?も男性ですし。
そういえば、ヒューゴ・ウィービング、どこに居たの?と思ったら、声の出演だったのね(中身もそうだったのかな?)。相手役のポートマンとは親子ほど?の年齢差がありますが、しかしこの、呆気にとられるくらいラジカルなジェンダーレス思想を土台にしたラブストーリー(私にはちょっとついていけない…)にあっては、この際、歳の差くらいどうでもいいか、という気分になるのも、ある意味凄い映画です。

 
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島々をむすぶ物語

2006/11/17(金) 17:23:01


原題を直訳すると「『デス博士の島その他の物語』その他の物語」です。"the other stories"が、二度繰り返されている。タイトルから既にウルフの術中ですね。
ISLAND,DOCTOR,DEATH の組み合わせによる三題噺の連作を中心に、誰もが知っているファンタジーや物語をモチーフに使った作品を集めた、お話好きには楽しい短編集です。

著者まえがきによると、ことの発端は、最初に書いた「デス博士の島その他の物語」がかのネビュラ賞を取り逃がし、しかも、授賞式で、主催者側の手違いから誤って受賞作として発表されてしまったため、ウルフとしては非常にばつのわるい思いをした。そのことに同情した友人が、選考委員会に大きな貸しをつくったんだから、今度は「アイランド博士の死」かなんかで小説を書けば、きっと受賞間違いなしだぜ、と冗談半分にけしかけたので、試しに同名の小説を書いたところ、ほんとうに受賞作に選ばれた、というウソみたいなホントの話…いや、本当にホントなのかなあ??


島の博士の死:上記の「まえがき」に含まれる掌編。三題噺連作中最後の作品とのことですが、大学内の幽霊ゼミ・“島学”講座を主催する変わり者の老教授と、偶然彼に教えを請うことになった男女二人の学生の話を通じて、本書のテーマである「島」が意味するものを解き明かしています。
ウルフにしては、珍しく親切じゃないですか。

デス博士の島その他の物語:「デス博士の島」は、主人公のタッキー少年が読んでいる本の題名。一読してわかるとおり、異形のクリーチャーとマッドサイエンティストものの原型になった、SFの古典的名作「モロー博士の島」(H.G. ウェルズ)の亜流小説です。
彼の読む物語と、彼自身の物語、それに、大人たちによる別の物語が交錯します。孤独な少年の、せつないファンタジー。表紙を開けば、いつでも最初から読みなおせる物語と、やりなおしのきかない実人生の皮肉な対比が描かれます。

アイランド博士の死: てんかん治療のために脳梁切断術を受けた患者の脳を、島になぞらえ、脳の各機能がそれぞれニコラス、ダイアン、イグナシオなど、別人格として現れて、互いに交渉しつつ、統合に至るさまを描いた奇想小説。「豚の島の女王」でカーシュがやったことと似ています。ウルフはカーシュほどシニカルでないとみえて、一応「最も美しい創造物」と持ち上げている「島」ですが、中身はもっとヘンテコリンです。
作者が言うように、ある意味先の「デス博士の島…」のひっくり返し。少年の意識に浮かんだ出来事が外部に投影される「デス博士…」に対して、この作品では、外界からの刺激による感情の動きや発作によって脳内に巻き起こる現象が、視覚的に表現されます。特に「焦点」は秀逸。
芭蕉の佐渡の句も、こんなところに引用されると、まったく別の味わいです。何かとおもっちゃった。
普通のファンタジーに近い「デス博士…」に比べ、知的な刺激にみちたこちらの話のほうが本来のSFらしく、委員会への貸しなどなくても、ネビュラ賞によりふさわしいように思いますが、どうでしょうか。

死の島の博士: ディケンズの小説をモチーフにあしらった短編。ディケンズは、今の日本ではあまり読まれないと思いますが、アチラではハイスクールの課題としてポピュラーらしく、アメリカの高校生ドラマなどを見ていると、よくディケンズのレポートを書く話が出てきます。というわけで、たいていのアメリカ人なら、「はいはい、あれね」とピンとくるはずのところが、日本人の私にはよくわかりません。多少見分けがつくのは、「大いなる遺産」と「オリバー・トゥイスト」くらいでしょうか。残念です。
末期癌の囚人が、冷凍睡眠処置を受け、半世紀近くを経て蘇る話。「大いなる遺産」の囚人の話に重なると同時に、「デス博士…」で、少年がデス博士の死を見たくないがために本を閉じてしまう、というくだりを受けたかっこうです。
医療の発達と冷凍睡眠によってほぼ不死を達成し、またクローン技術によって(まるで本に書かれた物語のように)何度でも再生がきくようになった未来世界で起こる、アイデンティティの拡散を描きます。

アメリカの七夜:「千夜一夜物語」の反転。未来の世界を舞台に、遺伝子の汚染によって荒廃した“後進国”アメリカを訪れた“先進国”アラブの青年の旅行記のかたちで語られる奇談です。彼が見たのは、現実かまぼろしか。数も重要です。

眼閃の奇蹟: 盲目の浮浪児ティブのまわりに広がる、聖書や「オズの魔法使い」などを下敷きにした童話のような物語。目を開ければ目が見えず、目を閉じれば目が見えるという、通常とは逆転した彼の世界を通じて、夢と現が交錯し、最後にひとつになります。
大人になると失われてしまう、子供の夢見る力をテーマにした健康的な作品。「デス博士…」の発展形ですが、主人公の想像力が、現実世界のなかでさらに力強く発揮されます。
大人だけれど、子供のように素直な心を失わない、気のいい相棒も素敵です。
ちなみに、アリスとミッキーは悪役(笑)。なんとなく分かる。

 
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誰のための大義

2006/11/14(火) 22:32:23

ミュンヘン スペシャル・エディション
ミュンヘン(cinema)
監督 スティーブン・スピルバーグ
エリック・バナ,ダニエル・クレイグ,
キアラン・ハインズ,マシュー・カソビッツ
posted with amazlet on 06.11.09

ミュンヘン五輪のイスラエル代表選手団が、パレスチナのテロ組織「ブラック・セプテンバー」に襲われ、人質となった。テロリストの要求は、イスラエルの獄中にある仲間の釈放。しかし、イスラエル側は取引に応じるつもりはなく、西ドイツの面目を賭けた救出作戦も失敗、人質全員死亡という最悪の結果に至る。
平和の祭典下で起こったありうべからざる凶行に、 世界中が震撼するなか、当事国であるイスラエルでは、報復論が沸騰、世論に押されるように、首相はテロ関係者の抹殺を決意する。
暗殺団のリーダーに指名されたのは、諜報機関モサドのメンバーで、首相の信頼厚い元護衛官アヴナー青年。 彼は4人のスペシャリストと共に、欧州に散らばるテロリストたちを手探りで捜し求める。


ミュンヘンオリンピックのテロ事件は、かろうじて記憶にあります。
この事件をきっかけに、「パレスチナ問題」というものが存在することを初めて認識し、また、「半旗」という習慣を知りました。
この作品は、事件そのものよりも、その後日談を中心に据えたものですが、映画にはエンドマークが付いても、現実には何も終わっていないのは、昨今のニュースに見るとおりです。

パレスチナゲリラによる周到な計画と、訓練された集団による非情な犯行の場面から始まった画面は、その後一転し、諜報員とはいっても、テロなど未経験の素人集団が、突如国の尖兵に指名され、右往左往するという、妙にリアルなストーリーが展開します。
特に、お金の話が出てくるところがおもしろい。確かに、こういうことって、ずいぶんお金がかかるでしょうね。それになんたって、みんなユダヤ人ですから、金銭にやたらと細かいのです(笑)。といっても、ケチなわけではなくて、ふんだんに使わせてはくれるのですが、情報取得や工作で経費を使うたびに、領収証を要求されます。(いちいちそんなことしてたら、対外的に証拠が残っちゃいそうな気がするんだけど、それはいいのかな。)
無意味な金は一銭も出さないぞ、ということですね。まあ、日本の、特にお役所関係などは、ちょっと見習ったほうがいいかもしれません。

いきなり暗殺してこいったって、ああた、相手がどこにいるかもわかんないし、殺しなんてやったことない! おっかなびっくり、それでも、同胞を惨殺された恨みを胸にがんばる彼らですが、事は教科書どおりには運ばず、予想外の展開が連続。心臓バクバク。
そんな「普通の人々」も、殺人を重ねるうちに、正常な感覚を失いはじめます。彼らの行動に気づいた相手方も、当然、阻止と報復のために動き出し、四六時中緊張の解けない毎日が続くなかで、神経をずたずたにされ、人間がすさんでいく。イタリアンブランドのモデルみたいにかっこいい青年(足長い~)が、徐々に、幽鬼のようなプロの殺人者に変貌していくようすが凄い。

一方、任務の過程で、異なる考え・思想を持つ多くの人々と出会い、一国内での閉鎖的な感覚から解放されるにつれて、彼らの中で、暗殺行為の正当性に対する絶対的な信念が、少しずつ揺れ始めます。

アブナー青年は、料理が得意という設定なのですが、一仕事終わるたびに、仲間に凝った郷土料理をふるまう場面が印象的です。ユダヤ教は食べ物に関する戒律がやかましく、コーシェルと呼ばれる「清浄食」以外は口にしてはいけない、という事情も手伝って、ユダヤ教徒にとって、「同じ食卓を囲む」というのは、特別な意味があるらしい。生命の基本である食事の用意をし、仲間とともに食べることで、互いの結束を強めると同時に、かろうじて人間性を維持し、いわば、殺人の罪から聖別されるようすが描かれます。

しかし、そのような儀式による救いにも、限界があります。
国家という、一つの家族の名誉のために、自分自身の家族とは離れ離れになり、また、同じ釜の飯を食う仲間、もう一つの家族を危険にさらす。そして自らも…。
彼の内側では、どんどん「収支」が合わなくなっていきます。

いちおう、スピルバーグ的救いのある結末にしてありますが、これだけのことをやっておいて、こんなに簡単に済むはずがない。
問題提起という観点からは、最後はちょっと腰砕けのように感じました。

 
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押入れのファンタジー

2006/11/12(日) 18:33:36

ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女
ライオンと魔女(cinema)
監督 アンドリュー・アダムソン
ティルダ・スウィントン,ジョージー・ヘンリー,
スキャンダー・ケインズ,ウィリアム・モーズリー
2005年 アメリカ
posted with amazlet on 06.11.08

時は第二次大戦中、ロンドンに住むベベンシー一家の四人兄弟は、ドイツ軍の空襲を避け、ド田舎の古いお屋敷に疎開することになった。
だだっ広くて淋しいお屋敷にたった一人で暮らしているのは、気難しそうな教授。ハウスメイドの小母さんは口やかましいし、あまり子供向きとは言えない環境だ。安否のわからないロンドンのママや、出征中のパパを思って、心細くなる子供たち。おまけに外はあいにくの雨。
あまりの手持ち無沙汰に、彼らはとうとう「騒ぐな」との禁を破って、かくれんぼを始める。使われていない客間に大きな長櫃、お屋敷の中には隠れ場所がいっぱい。末っ子のルーシーは、空き部屋に置かれた大きな衣装だんすにもぐりこむ。誰のものやら、上等の毛皮のコートが山ほどぶらさがった箪笥の奥へ奥へ…と、いつの間にやら、彼女は雪の積もった冬の森の中に立っていた。


「ロード・オブ・ザ・リング」同様、世界中のファンが、一応確認のために鑑賞したのではないかと思われるこの作品。御多分に洩れず、私も「どれどれ、出来は如何」という動機で観てみました。
原作を超えるほどのイマジネーションはありませんが、丁寧につくってあります。「指輪物語」と違って、もともとが小学生向きの童話ですので、ディズニー的な平明さはむしろ原作に忠実といえるでしょう。
欲を言えば、キャラクターや見せ場のめりはりをもっとはっきり出せば、全体が締まってみえたのにと思う。アスランを(ふつうのライオン大ではなく)巨大にするとか、白の女王をより非人間的でホラーチックな外見にするとか。音声の使い方にあまり工夫がなかったのも、少々残念なところです。

それにしても、多分端折られると思っていた書き出しの部分を、意外に丁寧に拾っていたのにはほっとしました。必ず、現実の不幸や孤独と抱き合わせになる、子供のファンタジーの常道を、きちんとたどってくれています。
どんな子供にも、ふとした瞬間の孤独や、思うに任せないことの一つ二つはあるもの。不幸な子供たちが空想の世界で活躍するファンタジーには、自分では変えることの出来ない世界に突き当たったときのストレスを慰める、一時避難所としての効用があります。
母親の入院と転居をきっかけに展開するトトロなどは典型的ですし、あのハリー・ポッターですら、ハリーの不遇な育ちから出発しますね。
しかし、子供のファンタジーは、必ず「帰ってくる」のがお約束(最もベタなのは夢オチ)。空想の時間が終わったあとは、現実世界の難儀を、何らかの形で克服できなくてはならない。

その点では、「ナルニアシリーズ」は異色で、全編に共通する宗教世界が、最終的にすべてを包含し、現実のほうが空想世界に食われてしまうという、現代的というか病的というか、あまり子供向きでない(すなわちディズニーらしくない)結末に至るのですが、連作の最後はどうするつもりなんだろう。
そこらへんが興味深いので、続編も追っかけていってみようと思います。

 
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逃げろ!

2006/11/11(土) 16:28:35

ヒッチャー 2 : 心臓完全停止
ヒッチャー 2 : 心臓完全停止(cinema)
監督 ルイス・モーノウ
ジェイク・ビュージー カリ・ウーラー
C・トーマス・ハウエル
posted with amazlet on 06.10.20

人気のない道路でヒッチハイカーを拾うととんでもないことになるお話シリーズの第二作。
ほんとは評判のいい第一作を借りたかったのですが、お店にありませんでした。意外と古いのね。

B級ホラーです。なんでB級かというと、シナリオに全く手を(金を?)かけていないからです。店ではサスペンスの棚にありましたが、ストーリーが無いも同然なので、ただのホラーでしょう。
しかし、カメラワークに見るべきものがあり、盛り上げ上手です。特に、序盤、トラウマを持っている刑事の被害妄想の映像表現はなかなか。前作も観たくなります。

 
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次回作をお楽しみに

2006/11/08(水) 17:08:59

ナイトフォール(上)
N. デミル 白石 朗訳
講談社 2006年

1996年7月、日暮れ前の砂浜で秘密の逢瀬を楽しむ不倫カップルの目の前で、離陸直後の旅客機が爆発、墜落した。乗員乗客230名全員が犠牲になった、TWA800便墜落事故だ。
人目につくことを怖れた二人は、慌てて現場を後にしたが、その夜の嬌態を録画した私製ポルノビデオの背景には、事故の模様が一部始終映っていたのである。

五年後、愛妻ケイト(FBI捜査官)の誘いで、TWA機墜落事故の追悼式に参加したジョン・コーリー(ニューヨーク市警OB・連邦テロ対策ナントカ略称ATTF捜査官)は、ケイトの巧みな誘導で、事故原因に未だ未解決の部分があることを知る。
事故調査中、「爆発直前、ミサイル様の“光の筋”が事故機に向かって上昇していくのを見た」という目撃情報が多数寄せられたにもかかわらず、その正体を完全に解明しないまま、墜落は単純な「事故」として処理されているのだ。
当時、自ら目撃者にインタビューした経験もあるケイトは、この件について、未だに納得できないらしい。ふーむ。

度重なるスタンドプレイが祟って、ATTF内ではすっかり札付きのジョンとしては、愛する妻の頼みとはいえ、寝た子を起こすような捜査にわざわざ首を突っ込みたくはないところ。しかし、高圧的な態度のFBI捜査官グリフィスから、まだ出してもいない手を「引け」と命令され、俄然、ヘソ曲がりの血が騒ぎ出す。
天敵グループの、やけに神経質なこの反応。やはりこの事故には何かあるのか。あるとしたら何か。何故FBIやCIAは、「光の筋」を深く追究しようとはしないのか。それより何より、「光の筋」とは一体何だったのか。
目撃情報だけでなく、何か決定的な証拠となる記録が残っていればいいのだが…。


さて、読後の率直な感想を言えば、
えぐい引っ張り方しやがって!!!

今あわてて買う必要も読む必要もないです。
じきに続編(完結編?)が出るらしいので、それからでも遅くない、というか、そのほうが変なフラストレーションを感じないで済みます。
すっかり作者のお気に入りになった、ジョン・コーリーシリーズの一作ですが、人気作家がシリーズものに走ると、たいていロクなことがない。「王者のゲーム」同様、本筋とは何の関係もない、キャラクター関連のあれやこれやで余計な紙数を稼いでいて、進行ののろさに苛々します。
コーリー自身も、あまり好みのキャラじゃないんだけど、奥さんのケイトなんて、美人でキャリアでエッチ、という以外にいったい何があるんだろうか。殿方にはそれで充分以上なんでしょうが、それにしても、コミックのヒロインじゃあるまいし、判で押したようなアイドル路線は勘弁して欲しい。
むしろ個性的で魅力があるのは、育児休暇中の女性刑事。ハードボイルド路線でキメたがっているコーリーに、パンパースを届けさせる女傑です。この人は良かった。端役だけど。

この先、9.11がからみますので、うかつな展開にはできないでしょう。
どうするつもりなんでしょうかね。

結局、デミルのベストは「誓約」や「将軍の娘」の頃ということになるのでしょうか。
あのレベルをずっと維持しろと言う方が無理なのかもしれませんが。

 
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予想外割引

2006/11/07(火) 17:35:34

バッド・ニュース
ドナルド・E. ウェストレイク 木村 二郎訳
早川書房 2006年

コソ泥のジョン・ドートマンダーと仲間たちがかかわる奇天烈な事件を描く、シリーズものの一作。
盗みで生計を立てている…とは言っても、泥棒貴族などとは程遠く、極めて庶民的な生活を営んでいるジョンたちだが、グループの一員ケルプが出会い系犯罪サイトで拾ってきたのは、墓地の棺おけすりかえ作業という、これまたしようもない半端仕事。しかし、彼らのプロの勘は、裏にある犯罪の臭いをかぎ当てた。これはおいしい山かも!
さっそくジョンたち四人組は、素人くさい二人の詐欺師の仕組んだアイデアに、分け前を狙って無理やり首を突っ込んだ。しかし、世の中はそんなに甘くない。裏をかいたりかかれたり、意外な展開の連続に知恵の種も出尽くしそう。二転三転、四転、五転、…果たしてこの話にオチはつくのか?


すっとぼけたキャラクターに、コミカルな文章、テンポの早い展開が小気味のいい、ユーモア犯罪小説。出る奴出る奴小悪党ばかりで、極悪といえるほどの大物はおらず、カモもカモなりに悪い連中で、騙されて気の毒というほどのことはなく、うまくいった部分と、失敗した部分とを合わせて、犯罪全体の収支決算が“トントン”におさまってしまいます。…というのが、冒頭で盗みをしくじって帰宅したジョンに対する恋人メイの述懐でもあるわけで、おそらくこれが、シリーズのテーマなのでしょうね。
だからね、割引ったって、向こうが言うほどトクにならないんだって、ということかな。

 
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HO! HO! HO!

2006/11/05(日) 18:21:19

よしきた、ジーヴス
P.G. ウッドハウス Pelham Grenville Wodehouse 森村 たまき
国書刊行会 (2005/06)

国書刊行会のコレクション。ジーヴスものの長編です。


トラブル解決、なんでもござれ。ジーヴスの名声が高まり、ウースター家の客は、主人のバーティーではなく使用人のジーヴス目当ての人ばかり。
みんな、なんだってんだ、主人(公)は僕だぞ! ジーヴス人気に嫉妬したバーティーは、ジーヴスのちょっとした失策を大げさに言い立てて、スランプ説をでっちあげ、“ジーヴスの悩み相談休業”を勝手に宣言してしまう。さあ、みんな、これからは何でも僕・バーティーに相談してくれよ。
ところが、バーティーの“名案”は常に裏目裏目と出て、友人たちのトラブルが深まるばかりか、自分も泥沼に引きずり込まれ、二進も三進もいかなくなってしまう。助けてジーヴ…いやいや、それだけはダメだ、自分でなんとかしなくっちゃ。

カップルは別れる。コックは辞める。叔母は怒るし、セレモニーはめちゃくちゃ。
必ずしもバーティーのせいとばかりは言えないのですが、事態は考えうる限りの混乱と悪化の一途をたどり、収拾の糸口さえ見えないような有様になります。
そこでいよいよジーヴスの出番とあいなりますが、少々調子に乗りすぎたとはいえ、これではいくらなんでもバーティーが可哀想。


ダリア叔母さんは、「それゆけ、ジーヴス」中の短編に登場した、雑誌社を経営するなかなか豪快なやり手の女性。アガサ伯母ほどではありませんが、バーティーが頭の上がらない人物の一人です。(ちなみに今回雑誌社の経営問題もトラブルの一環です。)ビンゴ夫人の女流作家ロージーは、彼女の雑誌に執筆しているという設定でしたね。コックのアナトールも同じ短編中の登場人物で、天才らしく頑固かつ繊細な、プライド高きフランス人です。


お笑いで長編…いったいどうやって話をもたせるのか? と思いましたが、ネタは切れ目無くつながって、最後はちゃんと収まるように収めます。さすが。

 
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懸命の時代

2006/11/04(土) 17:25:00



雲の都〈第1部〉広場


雲の都〈第1部〉広場

posted with amazlet on 06.10.25


加賀 乙彦
新潮社


三田の時田病院院長の娘、初江・夏江姉妹を中心に、戦前から戦後にかけての東京・山手とそこに暮らす人々の変貌を描いた連作「永遠の都」の続編。

文庫化された「永遠の都」最終巻「雨の冥府」読了からずいぶん時間がたって、ややこしい人間関係を忘れていました。まあ「広場」を最後まで読めば、だいたい分かるようにはできているのですが、親切な文庫版の人物紹介から、「雲の都」関係者をいちおう整理しますと、



小暮悠太(主人公・作者の分身)は、「永遠の都」の中心人物時田利平の娘初江とサラリーマン代表小暮悠次夫妻の長男。駿次・研三の二人の弟と、年齢の離れた央子という妹がいます。この妹の出生には悠太も知らない秘密がありまして、それが前作のメインストーリーの一つです。

初江の妹夏江は、紆余曲折の末、菊池透と結婚し、火之子という凄い名前の娘があります。実はこの子の出生にも込み入った事情があり、それがもとで一旦は夫婦別れするのですが、「広場」では、いつの間にかもとの鞘におさまっています。夫婦とも、ストイックなクリスチャンです。

百合子松子・梅子の双子、それにピアノをよくする桜子の四姉妹は、初江・夏江姉妹の母菊江(故人)の妹夫婦風間信一郎・藤江夫妻の娘たち。信一郎は成功した実業家で、娘たちはそれぞれ父の思惑で政略結婚しています。風間家と時田家、美人ぞろいの従姉妹六人は、娘時代から実のきょうだいのように親しくつきあっていて、彼女たちの織りなす「細雪」の世界に似たあでやかな女もようは、前作の華でした。全員がオバサンになってしまった本作でも、その名残りが見られます。

脇家というのは、初江の夫悠次の異母姉美津の嫁ぎ先です。早死にした美津の夫脇礼助は、政友会で権勢をふるった政治家で、風間信一郎の盟友でした。前作で、けっこうイケてる青年将校として登場する脇敬助は、脇家の長男。悠太には父方の従兄にあたります。風間家の長女百合子と結婚していますが、以前、夏江と縁談があったこともある。

敬助の弟で、野心家の兄とは似ても似つかない、文学と音楽を愛する白皙の美青年脇晋助(故人)は、初江がらみで前作の主要人物の一人。で、悠太の少年時代のヒーローです。言うことがいちいち気障で、繊細な見かけによらずけっこういい根性してますが、最期はかわいそうなことになりました。ちなみに風間家の桜子は、少女時代こいつに惚れてました。

前作ではそこそこ出番のある時田家の跡取り息子史郎(初江の弟/夏江の兄)その他、焼失した時田病院関係者は、チラホラ名前は出てきますが、みな過去の人です。悠太に自作の絵を託した五郎は、時田利平の庶子との噂のあった青年で、不幸な生い立ちに身体障害と、どこまでも気の毒な人。夏江といろいろありましたが、人生に絶望し、作品だけを残して命を断ちます。





個性と魅力あふれる登場人物それぞれの視点と立場が入り乱れ、全体が混然と、帝都東京の息づかいを感じさせるような前作とは異なり、「雲の都」は、(今のところ)もっぱら作者の分身である初江の長男悠太を中心に展開します。



「第一部 広場」は、1950年代、戦争の傷跡を残しながらも、復興に向かう東京が舞台。

敗戦で資産を失い、父親のサラリーだけが頼りの中流家庭に没落した小暮家をはじめ、前作の登場人物たちの消息を追いつつ、東大の医学生になった悠太のセツルメント活動(今でいうボランティアですね)を描いています。



風間家や脇家のように、既に戦前と変わらぬ生活を取り戻している富裕層と、未だ敗戦の傷が癒えず、最底辺の生活苦にあえいでいる人々、セツルメントの仕事を通して、二つの対照的な世界の間に立ち、どちらつかずの身の上に戸惑う悠太。

学生らの善意にささえられた困窮者の支援活動も、人手不足や資金難から、頓挫寸前に追い込まれる。その混乱の中で、ソビエトに後押しされる共産党員は、人々の不安や不満をあおり、アメリカ寄りの為政者たちは、彼らの動きを警戒して、手段を選ばず動きを封じ込めようと焦る。

悠太たちの理想主義も否応無しに政治的な思惑にのみこまれ、遂にはクライマックスの血のメーデー事件に至ります。



相変わらず、時代の空気を緻密にとらえ、最後までひと息に読ませますが、「永遠の都」シリーズに比べて何か物足りない。複数の人物を並列して、それぞれの動きをドラマチックに追った前作に比べ、こちらはほとんど悠太ひとりに焦点を合わせた、自伝小説のおもむき。視点がほぼ固定してしまったのと、他の主要人物が(年をとって)あまり動き回らなくなったためか、主旋律だけ追いかけているような、やや単調な展開です。



特に、富める人々の代表選手である変節漢・脇敬助を、ステレオタイプな権力者に仕立てたのは残念でした。

作中のセリフではありませんが、王が歴史の奴隷だと言うなら、彼のような立場にも、それなりの必然があるはずでは。確かに手段には大いに問題があるし、彼らの牽引した強引な産業振興策は、その後さまざまな弊害をもたらした。しかし、彼らの舵取りによって、国全体の復興が成し遂げられ、結果として国民生活が向上した事実も否定できません。

それに対して非難一方になるのは、同時代の若い悠太の発想としては理解できるけれど、作品全体の理念ならばいささか浅薄でしょう。



悠太の父悠次についても、同じような感想を持ちました。

このお父さんは、敗戦直後はなかなか家長らしく活躍するのですが、勤め先の再建なって、ふたたび“いわゆる”サラリーマンに戻ってしまいます。資産を失って貧乏になったのが引け目で、権勢華やかな親類とはつきあいたがらない小心者。家のことは妻に任せきり。休みというと雀卓を囲んでる。

家族サイドからは、典型的なダメ親父に見えますが、彼にも職業人としての人生があったはず。それが、家庭や地域共同体における個人の人生と必ずしも合致しないところに、現代人の精神的な問題が発生し、海外では文学上のテーマにもなるわけですが、この小説では、家庭外での悠次は、完全に切り捨てられています。まあ、悠次が保険屋ってところも、時代の牽引役に据えるには無理がある、とはいえ、彼もまた、社会を構成する一員であるという捉えかたがあってもよかったような気がします。



しかしまあ、なんといっても、全体の勢いを殺いでいるのは、前作での時田利平のような、スケールの大きな個性を失っていることでしょう。それもまた、時代のなせるわざと言えば、そのとおりではあるのですが。

貧しさの中でもがく浦沢明夫と、彼の恋人菜々子の話もまた、主人公一族の反対概念ではあるものの、前作の五郎に見るような宿命というほどの救いがたい暗黒ではなく、多くの人に共通の、「時代の悲劇」の一つです。この先、日本の復興とともに、彼らや彼らの子供たちもまた、総中流のうちに組み込まれていくのでしょう。



高度成長の問題点をあげつらえばきりがありませんが、しかし、ホームレスでさえ滅多に餓死することのない、現代日本の驚くべき豊かさは、やはり幸福には違いなかろうと思います。



 

読んだ本TB:0CM:1

カモ・カモ・カモン!

2006/11/03(金) 18:04:16

ペテン師.jpgペテン師と詐欺師(musical)
脚本 ジェフリー・レイン
音楽 デイヴィッド・ヤズベク
演出 宮田慶子
鹿賀丈史,市村正親,奥菜 恵
珍しく舞台を観る機会がありました。自慢じゃないがミュージカルなんて、小学生の頃、子供劇場を見て以来です。そもそも、演劇は妙に生々しくて苦手なんですよね…と言いつつ、初期の遊民社や蜷川演劇なんかは、しっかり観ていたりするんですが。

さて、ブロードウェイミュージカルの翻訳版です。
二人の詐欺師をめぐる喜劇なのですが…。映画の吹き替えだって面倒なのに、ディズニーアニメの吹き替え版ですら、違和感あるのに、そして、タダでさえミュージカルは難しいのに、これは大変だよなア。
「キャッツ」だとか「ライオン・キング」みたいに、個性的な演出や、群舞で見せるものならアリだと思うのですが、これは、ミュージカルと言いつつ、主役二人の軽妙な掛け合いが中心なのですね。なんてったって、舌先三寸で商売している詐欺師の話ですから。
で、それでなくても翻訳で原文のリズムが損なわれている(想像)上に、アメリカン・ジョークの応酬で、台詞の意味自体通じないものもある。客席が、ドッと沸くべきタイミングにシーンとしてるから、全体に盛り上がらない。ドイツ語の発音ネタさえ滑っていて、役者さんに気の毒みたいでした。(しょうがないよ、単一民族国家日本で、ドイツ語知ってる人なんてほとんどいないんだもん。)

地の台詞だけじゃなくて、歌詞も台詞なんです、基本的に。だから、歌詞もよくわからない。さらに、オケが大音量でかぶるから、何て言ってるのか聞き取れない(これは、座席位置のせいかも)。
観ていて、とても疲れました。読書のほうが楽ね。でなければ、音楽だけのほうが。

市村さんは、さすがに現役の本職で、歌も動きも踊りもお上手でした。しかし、年配詐欺師対青年詐欺師、という設定で、元気でカワイイ若いコを演じるには、いささかお年が…。むしろ、年配役のほうが、おさまりが良かったのではないでしょうか。
加賀さんは、滑舌に問題があるのかしら、声質のせいかしら、特にオケが入ると俄然聞き取れない。テレビではむしろいい声のように思うのですが。
奥菜ちゃんは、目鼻立ちのはっきりした人なので、容姿は舞台向き、お芝居もそれなりにちゃんと出来るのですが、歌はもうやめといたら…。
宝塚出身の愛華さんは、何もかも宝塚ふうですが、無難にこなしていました。高田聖子という女優さんは、初めて見ましたが、歌も踊りもたいへん器用で驚きました。前半だけの役なのがもったいないくらいだった。
 

そのほか(ドラマetc.)TB:0CM:0

夜の堕天使

2006/11/02(木) 15:39:45

ブラック・ダリア.jpgブラック・ダリア(cinema)
監督 ブライアン・デ・パルマ
ジョシュ・ハートネット,アーロン・エッカート
スカーレット・ヨハンソン,ヒラリー・スワンク
2006年 アメリカ
ミスター・ファイアとミスター・アイス、ボクサーあがりの刑事ふたりの友情と、その悲劇的な顛末を、大戦後間もないロサンジェルスの闇を背景に描いたフィルム・ノワール。

テレビCMでは、謎の「ブラック・ダリア事件」を追うミステリ映画のようでしたが、実は、お話のメインはミスター・アイスことバッキーの視点で追う、1940年代後半の退廃的なロスの街と、その中で必死に生き延びようともがく人々の姿。タイトルに掲げられた「ブラック・ダリア猟奇殺人事件」は、彼らを侵す病理の一象徴にすぎません。

原作は、一貫して戦後アメリカのダークサイドがテーマのジェームズ・エルロイ作品。
黒髪の主人公や、セピアがかった暗めの画面で、雰囲気を出していますが、主人公のバッキーがナイーブな善人なので、話としてはやや平板になってしまいました。ヒロインのケイとバッキーの親友リーのいわくありげな関係も、さらっと流されて、最後が予定調和的にまとまってしまったのは惜しい。
熱演はスワンク。一種異様な悪女役が強烈な印象です。しかし、彼女にからむ事件の種明かしも、駆け足で過ぎてしまって拍子抜け。

なにせ、原作があの厄介なエルロイですから、盛りだくさんすぎて、まとまらなかったのでしょう。
こうしてみると、同じエルロイ原作ものでも、「L.A.コンフィデンシャル」は、アカデミー賞取るだけあって、刈り込みが上手で、映画としては一段上等でした。そういえば、ミスター・ファイアことリー刑事は、「L.A.…」でラッセル・クロウが演じたバドのバリエーションです。きれいなお姫様をはさんだ三角関係も、似ていなくもないですね。
 
見た映画(DVD)TB:0CM:0
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