常世国往還記

本と映画のノート



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かもめ

Author:かもめ
読書と映画の鑑賞記録。
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アメリカの悩める人々

2006/08/29(火) 18:04:41

クラッシュ
クラッシュ(cinema)
監督 ポール・ハギス
サンドラ・ブロック ドン・チードル
マット・ディロン ジェニファー・エスポジート
ブレンダン・フレイザー テレンス・ハワード
2004年 アメリカ
posted with amazlet on 06.08.28
東宝 (2006/07/28)

人種問題を主軸に、若年者の犯罪、貧困、介護など、現代のアメリカにおけるさまざまな社会問題にからめて、人間関係に悩む孤独な人々の交錯(クラッシュ!)するさまを淡々とコラージュした映画。
麻薬問題を扱った「トラフィック」に似た感じの手法で、人間ドラマを通じて単純には解決しない社会の病理を描き、観客に問題提起をする作品です。
実力派俳優を揃えて、バラバラの話をそれぞれ見ごたえのある画面にまとめ、退屈させません。喜劇あり悲劇あり、ほっとする大団円も、救われない暗い結末も。

特に、抜きがたい差別意識と人間的な誠実さを併せ持つ、複雑な性格の警官を演じたマット・ディロンが光っています。いい役者です。しかし、老けないなあ、この人。

 
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コモンセンス衰亡記

2006/08/28(月) 18:54:02

大転落(book)
イーヴリン・ウォー 富山太佳夫訳
岩波書店(岩波文庫) 1991年

イギリス階級社会のホンネとタテマエの間で翻弄される、善なる凡人・ペニーフェザー君の苦闘を描くユーモア小説。
徒手空拳の軽輩である主人公が、とんでもなく不運な境遇を渡り歩きながら、あっちでど突かれ、こっちでど突かれしているうちに悟りを開くという、ど突き漫才のような体裁になっています。

文春から出ているウッドハウス選集の巻末に、ウォーのウッドハウス讃があって、ウォーって真面目でお堅い作家のイメージがあったので、ええー意外!と驚いたのですが、この処女作はなんと、一応お笑い系なのでした。少なくとも作者本人は、笑ってもらう心算で書いたようです。
しかし、万人受けする他愛の無いユーモア小説って、誰でも書けそうに見えて、なかなか難しいものですね。ユーモアというには高踏的で、少々風刺ふうの毒も効きすぎて、お笑いとしては、いささか滑っちゃっています。痛い。

生涯ユーモア作家を貫き、ただのヒトカケラも理屈を挟まなかったウッドハウスって、ウォー先生のおっしゃるとおり、確かにすごいかも。

読んだ本TB:0CM:0

相対と不定の世界で

2006/08/24(木) 16:43:41

ケルベロス第五の首
ジーン・ウルフ 柳下 毅一郎訳
国書刊行会 (2004/07/25)

どこか地球外の双子の惑星を舞台にした「ケルベロス第五の首」「ある物語」「V・R・T」の三部から成る小説。第一話では、不思議な館で暮らす少年の語りを通じて、物語世界全体の構成がほのめかされ、第二話は、もう一方の惑星に展開する、十代の少年の(たぶん)通過儀礼的な体験が、神話か民話のように象徴的に描かれ、第三話では、第一話の後半でほんの端役として登場する、地球からの“旅行者”の男が囚われ人となるさまを描きます。
一応、SFに分類され、それらしい設定や用語は散りばめられていますが、もとより科学読み物ではなく、かといって、能天気なファンタジーとも言えず、パズルのように複雑怪奇な、一種の実験小説であろうかと思います。

登場人物も場所も、すべてどこかでつながっています。
あそこはここであり、私は彼であり、彼はあなたである。父は私であり、今日は明日であり、明日は過去である。人間と動物どころか、生物と無機物の境界さえ、徐々に希薄になり、やがて消えてしまいます。
SF的設定は、それ自体が目的ではなく、ただ単に、馴染み深いこの世界(地球であるとか自我であるとか社会であるとか)の原理原則から解き放つための方途でしかないようです。

何一つ確かな形をもたず、あいまい模糊とした状況を、破綻も矛盾もなく(しかも読みやすく)文章化するという、驚異的なテクニック。作品そのものが一個のミステリです。非常にスリリングな読書体験で、満足感もあります(おなかいっぱい)。きっと近いうちに再読もするでしょう。

しかし、この小説が好きか、と聞かれれば、首をひねります。
美事な工芸品。でも、たぶん芸術ではないんですよね。これほど手の込んだ小説世界を構築しながら、ガルシア=マルケスやエリアーデのように、独特の世界観や思想に発展する気配はありません。結局、巧緻なエンターテインメント(とてもよくできたゲーム)にすぎないのかも。
読書に何を求めるかによって、評価の分れる作品ではないでしょうか。

 
読んだ本TB:0CM:0

最強の母

2006/08/22(火) 19:44:31

フライトプラン
フライトプラン(cinema)
監督 ロベルト・シュヴェンケ
ジョディ・フォスター ピーター・サースガード ショーン・ビーン
2005年 アメリカ
posted with amazlet on 06.08.16
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント (2006/05/24)


ヒロインのカイルは、夫と娘のジュリアとともに、ベルリンで暮らす米国人。しかし、幸福な家庭生活は、夫の突然の死によって破綻した。打ちのめされたカイルは、父を失って不安定になっているジュリアを連れ、夫の遺体とともに帰国することとなった。
乗り物を怖がるジュリアをなだめて飛行機に搭乗し、ほっとしたのも束の間、転寝から覚めると、隣にいるはずの娘の姿が消えている。不安に駆られたカイルは、乗務員に協力を要請し、機内を必死に捜索するが、娘はどこにも見つからない。それどころか、搭乗者リストにジュリアの名前はなく、娘の存在自体がカイルの妄想だときめつけられてしまう。


キレイなセットとジョディ・フォスターにだまされてはいけません。まごうかたなきB級映画です。
一時間半程度という上映時間の短さから推測するに、当初の予定から削りに削って、残ったプロットをつなげて作ったら、こんな映画になっちゃったというところではないでしょうか。
今夏「ユナイテッド93」が公開されて、ようやく呪縛も解けかかっているようですが、「フライトプラン」制作時には、まだまだ航空機パニックものには、制約が多かったことと思います。
ストーリーは穴だらけ、説得力が希薄で、「どうにもならんクソ映画」(3号談)。でも、ベルリン発というあたりから考えれば、もとはもっとスケールの大きい脚本だったはずです。せめて、ボロミア機長にはもうちょっと活躍してもらいたかったですね。制服が似合っていただけに。

唯一の見どころは、しっかり作った機内のセット。航空機の設計技師であるカイルが、機内を知悉しているという設定なので、捜索やら逃亡やらで、隅から隅までくまなく見せてもらえます。
ずいぶんいろんなところから裏側にもぐりこめるんですねえ。でも、ダメダメ。良い子はマネしちゃいけません。


 
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ふわふわ・くるくる・どすんばたん

2006/08/17(木) 16:18:09

ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ! スペシャル・エディション
ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!(cinema)
監督 ニック・パーク,スティーブ ボックス
2005年 イギリス・アメリカ
posted with amazlet on 06.08.16
角川エンタテインメント (2006/08/11)



町の一大イベント「巨大野菜コンテスト」を間近にひかえ、ウォレスの考案した野菜警備システムは大人気。畑を荒らすウサギたちからニンジンやかぼちゃを守るため、ウォレスと相棒グルミットのコンビは毎日大忙し。いつもは失敗ばかりのウォレスのヘンテコ発明品も、今度ばかりは成功みたい。
でも、捕まえたウサギで地下室のケージはパンク寸前。毎日のエサやりも大変になってきた(エサ代かかりすぎて、絶対に採算合わないって)。困ったウォレスは、ウサギを洗脳して、野菜嫌いに変身させようと思いつく。


クレイアニメの人気シリーズ。毎度とぼけた愛敬のあるキャラクターが可愛い。「危機一髪!」のヒツジがいちばん好きでしたが、今回のウサギもなかなかです。
原題「CURSE OF THE WERE-RABBIT」と、何やら恐ろしげ。オオカミ男もののパロディーで始まりますが、あれっ? 途中からなんか方向が変わっちゃったぞ。
田舎町の「巨大野菜コンテスト」という緊迫感のない舞台が、脱力系の笑いをさそいます。バカな飼い主をサポートするグルミットの健気な活躍ぶりもいつも通り。

 
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葬られない死体

2006/08/16(水) 15:32:35



人気ミステリ作家のヴェルラムから、二年ぶりの最新作原稿が届いて、沸き立つ出版社。しかし、編集者のファールは、作中のトリックに見覚えがあった。別の出版社に居た頃読んだ、無名の新人のボツ原稿だ。まさか、盗作? だが、トリックには確かに覚えがあるものの、作品のタイトルも作者の名前も思い出せない…。
あいまいな主張で社長を怒らせてしまったファールは、当時の同僚で、記憶力抜群のフリージャーナリスト、ヴァーノンを訪ねた。ところが頼みのヴァーノンも、トリックと登場人物までは思い出せたが、肝心の点についてはサッパリ。しかし、この件に興味を持ったヴァーノンは、ひそかにヴェルラムの身辺を調べ始めた。

一方その頃、ヴァーノンの親友マクドナルド主任警部は、サマーセットでひき逃げにあって死亡した、ジョン・ブラウンと名乗るホームレスに関する奇妙な報告を受けていた。直接の死因となったのは、交通事故の傷ではなく、被害者は120マイルも離れた土地で何者かに襲われたあと、発見現場に放置されたものらしい。
マクドナルドが、休暇を利用して、私的にこの事件を捜査すると聞いたヴァーノンは、同行を申し出た。なんと、ジョン・ブラウンが襲われたとみられる場所は、偶然にも例の作家、ヴェルラムの滞在先に目と鼻の先ほどのところだったのだ。変死の謎と、盗作疑惑、おいしいネタを二つ同時にものにできるかも? 
春浅い田舎道をドライブがてら、のんびり聞き込みをはじめた二人の前に、早くも予想外の障害が立ちふさがった!


二つの事件が出揃った瞬間、「あ、もう分かった」と思いましたが、早計でした(笑)。思ったより複雑です。
作者はクリスティーと並び称される人気女流だったそうですが、ドラマ性はクリスティーに劣るものの、しっかりした組み立てと、すぐれた描写力、ほのぼのしたユーモアを味付けに、万人向けの嫌味の無い作品です。サスペンスありアクションあり恋ありで、サービスもたっぷり。
行動力があって重厚なマクドナルドと、アイデアマンでちょっと軽めのヴァーノンは名コンビです。

なお、"John Brown's Body"は、作中で主人公たちが(いささか不謹慎ながら)口ずさんでいるのを見てもわかるとおり、南北戦争以来の愛唱歌で、解説によれば、奴隷解放運動の犠牲になった実在の人物を歌ったものとのこと。どんな曲かと思ったら、リパブリック賛歌の元歌なのだそうです。で、そのまた替え歌が「ごんべさんの赤ちゃん」と。もとはとても哀しい歌だったんですね。なんでこんな歌詞をつけたんだか…。

 
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違うから楽しい

2006/08/10(木) 18:22:00



流行りの男脳・女脳のおはなし。

男児と女児では、行動も成長の仕方も異なるというのは、子供を育てた人なら誰でも経験的に知っていることですね。私の母親はボーヴォワール全盛時代に大学生やってた人ですが、「“性差は社会的な慣習によって作られるもの”なんてたわごとだった」とよく嘆いてました。ごめんね、お母さん。

しかしながら、「ブレンダと呼ばれた少年」にみるような残酷な実験とその結果によって、男女で脳に機能差があるらしいということが科学的に認知されるようになったのは、比較的最近のことです。
その後、行動学や心理学だけでなく、脳そのものの研究から、男性と女性では、脳の使われ方が違っていることがわかってきました。

本書は、成人の脳にみる性差の研究をさらにすすめ、成長期の子供では、男女間にどのような違いがあるのか、また、その違いが実際の行動面にどのような形であらわれるかを、現在までの研究結果をふまえて、わかりやすく紹介したものです。


私は女の子を育てた経験がないので、比較できないのが残念ですが、こと男の子に関しては、本書に書かれていることが、何もかも符合するので笑ってしまいました。

「出生時には男女差は存在しない」という考え方が教育界に浸透したために、今の子供たちは、極端に画一的な教育を受けることになってしまいました。
また、女性差別を是正するという発想から、学校教育全体が女の子寄りに修正されたため、今度は逆に男の子たちが、学校生活に適応できなくなりつつあります。
共学校で元気のいいのは、決まって女の子。男の子たちは、女子のしもべに甘んじるか、さもなければやさぐれています。ちなみにうちは二人ともやさぐれ派。

でも、だからといって、本書の著者のように、「男女別学こそが理想の教育方法」とも思えません。
男と女で、社会的な活動の場が画然と分れていた過去の社会と違って、男女平等の世の中です。将来は必ず一緒に仕事をしたり、家庭経営をしなくてはならないのだから、相手のことをよく知っておく必要があります。
男女には、違うところもあるけれど、同じ人間として共通部分もたくさんあるのに、別学では、違いばかりが強調されてしまうような気がするのです。たとえば現在男子校生の3号くんやそのお友達が、ステレオタイプな“オンナノコ”を夢想している様子などを拝見しますと、どうもなア…と思っちゃうんですよね。

まあ、本書を読むかぎり、アメリカと日本では、共学校の現状にかなり差があって、あちらでは共学校の生徒のほうが、むしろ性差に敏感になるようなので、このへんは、彼我の文化的な違いなのかもしれません。

幼稚園から何からすべて別学に、とか、何もそこまで制度的にガッチリハッキリ決めてしまわなくても、ただ単に、教育者や家庭が、“こういうものなんだ”“皆が同じにできるわけではないんだ”と分かっているだけで、かなり違ってくるんじゃないでしょうか。男女差だけでなく、個々人の違いだってあるわけですから、あとは、様子を見ながらフレキシブルに。
どうも、学説だとか思想だとかでがんじがらめの制度を作ると、ろくなことがないような気がします。
“人間”に関することですから。正解は一つじゃないし、また一つである必要もないでしょう。


 
読んだ本TB:0CM:0

楽園追放

2006/08/09(水) 18:57:52

扉の向こう側(book)
パトリシア・ハイスミス 岡田葉子訳 
扶桑社ミステリー 1992年


大学進学を目前に控えたアーサーは、学力優秀、品行方正、家の手伝いもすれば、近所のおばさんたちにも親切。まさに絵に描いたような良い子です。両親にも従順な彼ですが、最近、ちょっと父親をうっとうしく思うことが多くなってきた。自立心が芽生え、自分なりにいろいろ考えはじめる年頃なんですね。
お父さんのリチャードにとって、アーサーはもちろん自慢の息子。だけど、巣立ちかけている長男のようすに、ちょっと焦りも感じています。お父さんは、貧しい家庭から苦労してたたきあげた人で、それが誇りである一方、コンプレックスでもある。かつて自分が泣く泣くあきらめた大学進学を、当然のように手中にし、どんどん自分を追い越して、自分の知らない輝かしい世界へ旅立っていく長男がいささか癪なのです。
「誰のおかげで今のお前があると思っているんだ!」幼い頃のような全面的な尊敬を得ようと躍起になればなるほど、親子関係はギクシャクしてしまう。お父さんは、エリート候補の息子が、無教養な安サラリーマンの自分を馬鹿にしているんじゃないかと不安で、苛立っています。

こんなありふれた小さな不協和音が、平和な家庭にさざなみを立てはじめたとき、次男のロビーが風邪をこじらせて入院、生死の境をさまようという大事件が起きます。ロビーは、中学生にしては子供っぽく、輝けるお兄さんに比べて目立たない存在なのですが、生きるか死ぬかとあっては、お父さんもかかりきりで、寝ずにお祈りを捧げたりします。
やがてロビーは無事回復しますが、これをきっかけに、それまであまり精神的な問題に関心の無かったお父さんが、突如宗教に目覚めてしまいます。ロビーの全快→神が祈りを聞き届けられた→私たち一家は神に選ばれた存在である、と思い込んでしまったのです。

やれ教会へ行けだの、聖書を読めだの、ますます面倒な存在になった父に、爆発寸前のアーサー。間に立って、双方を必死になだめる母。
そんな折も折、こともあろうにアーサーの恋人マギーが妊娠してしまう。心の準備のない二人は途方に暮れますが、幸い、マギーの両親は合理主義者で、過ちは過ちとして、若い二人の将来のためには堕胎もやむなしということで全員が納得。
やれやれ、これで一件落着…と思ったら、妊娠を知ったリチャードが横から“待った”をかけます。「神から授かった生命を消し去ることなど絶対に許されない」と強硬に主張する彼。「もう手術の予定も決まっているのに…」困惑するマギー一家。
非常に具合の悪い立場に立たされ、頭にきたアーサーは、とうとう父親と真っ向から対立してしまいます。


ありきたりな青春小説かと思うような書き出しですが、ここから先は、徐々にハイスミス流にねじれて行きます。

リチャードは凡庸で俗物でも、悪人ではないのですが、彼の失敗は、息子に意見をするにあたって、自分の言葉で語らずに、宗教的な権威を頼ってしまったことでしょう。彼は、社会的・経済的に上位のブルースター家に対する引け目から、正面切って彼らに対峙する自信がなかったのです。
教会製の空虚でご立派な意見を繰り返し、息子からあからさまに軽蔑されて、意地になった彼は、教会や信者たちからの無責任な支持を頼りに迷走しはじめます。自分ひとりならまだしも、極度のファザコンで、父親や年長の男たちの関心を引きたくてたまらない未熟なロビーを道連れにして。

お話は、アーサーのほろにがい青春物語と並行して、この“えせ信心”のもたらす混乱と悲劇をたどります。

愚かな小市民的正義は、しばしばこの話のように人間関係を破壊してしまうものですが、しかし、愚かで頑迷な思い込みの中にだって、愛情や真実が含まれていないとも限りません。堕胎反対は、(現実的ではないにしても)皆から嘲笑されなくてはならないほど馬鹿げた考え方なのでしょうか。
作者がリチャードに与えた運命は、いくらなんでも不公平じゃないかという気がします。

逆に、アーサーや、マギーを始めとするブルースター家の考え方も、もう一つ納得がいきません。
アーサーやマギーが、自分たちの都合を優先して、新しい生命を断ってしまうことに、ほとんどためらいも後悔もないのは驚きです。(「金八先生」は馬鹿げているにしても、たとえば、同じようなシチュエーションの小説「ディア ノーバディ」における少年少女の真摯な懊悩と比べると、あまりにもあっさりしています。)
アーサーは、確かに行動の上では常に正しい。しかし、内面はきわめて利己的な人間のようでもあります。殊に、生物学を志そうとしている少年の生命観や倫理観としては、いかがなものかと。
作者の意図は、軽々しく結論を出すことではなく、こうした問題提起にあったのかもしれません。ただ、構成の不備か、そのあたりがあまりうまく出ておらず、一方的な見方に偏っているように読めるのが残念です。


原題の「People who Knock on the Door」は、聖書からの発想と思われますが、訳者解説によれば、皮肉な比喩としての用法もあるようです。
本来は信仰を求める者を表すことばが、信仰の押し売りを意味するようになるとは、なんとも救われない話ですね。

 
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中世の悲劇

2006/08/07(月) 18:45:43

エミリー・ローズ デラックス・コレクターズ・エディション
エミリー・ローズ(cinema)
監督 スコット・デリクソン
ローラ・リニー,トム・ウィルキンソン,
ジェニファー・カーペンター
2005年 アメリカ
posted with amazlet on 06.08.05


地方の小さな農場で、一人の女子大生が凄惨な死をとげた。警察は“不審死”と判断、殺人容疑で連行されたのは、何と死亡時に彼女の“悪魔祓い”の儀式を執り行っていた神父であった。
この異常な事件の公判で、被告の弁護に立ったのは、野心満々の凄腕女弁護士エリン。彼女の使命は、カソリック教会の意向を受けて、この不名誉な裁判を穏便な司法取引に持ち込み、世間の話題にのぼるのをできる限り避けることだった。
検察により、“悪魔に憑かれた”被害者エミリーの病状が医学的に分析され、また、彼女が実際に医師の診察を受け、薬を処方されていたにもかかわらず、神父が医療を拒否するよう勧めたことが明らかになり、エリンは一気に苦境に追い込まれる。




ホラー仕立ての法廷映画です。ドイツで起こった実話に基づいており、事実を大きく逸脱することはないので、怪物が出るとか殺人鬼とか、いわゆるホラーチックな絵空事は一切ありません。セットは簡素、CGなし。カメラワークとメイクと役者の演技だけで成り立っている低予算映画。にもかかわらず、怖い。お茶の間が静まり返りました。

ロバート・ワイズの「たたり」にまさるともおとらない恐怖演出、また、エミリーに扮したジェニファー・カーペンターの熱演は特筆ものです。彼女なしでは、単なる歯切れの悪い法廷物というだけで終わってしまったかもしれません。

ただし、ホラー表現の出来栄えは見事でも、お話の中身は、実話をなぞっているだけに、考えさせられる点がいろいろあります。
エミリーのような疾患に対する根強い迷信や偏見を取り除くために、医療関係者や患者の会はたいへんな努力を重ねてきました。それを、今更蒸し返すような作品を作るというのは、どうでしょうか。神経症状と精神疾患を混同しているかのような描き方も気になります。

また、作中で「薬が効かなかった」ことが事実であるかのように言われていますが、副作用の強い薬を使うため、投薬は少量から始めて徐々に増やし、血中有効濃度が安定するのに少なくとも二週間はかかるので、ふつう、投薬直後から劇的に症状が改善することはありません。発作の種類や、脳内の原発部位によっても、効果のある薬が微妙に異なり、最初に出された薬が必ず合うとは限らないし、患者自身の体質等により、副作用の出方や必要量も違ってきます。
従って、最初の診断と処方がドンピシャで、ピタリと発作が止まるのは、むしろ幸運なケース。薬の調整のために入退院を繰り返すことも稀ではありません。
校医から「入院が必要」と言われたのに従わず、専門医の詳しい検査や診察を受けてもいない段階で、発作がすぐに軽減しないからといって、「医療は役に立たない」と決め付けるのは乱暴でしょう。

若いエミリーが、発作の苦しさ・幻覚の恐怖から、極度の不安にかられてそう思い込んでしまうのは理解できます。
しかし、第三者である神父が、中世ならいざ知らず、法皇だって医学の世話になる現代に、医師の意見を一切聞くことなく、患者本人の主観的な見方を鵜呑みにして助言するのは、大人としてあまりにも軽はずみ。ましてや、神父という、精神的に影響力の強い立場を考えると、「悪気はなかった」で済むことではない。いやむしろ、自分の名声を高めるために、故意に彼女を医学的な治療から引き離したと言われても仕方ないとさえ思えます。

裁判の結末は、私にはもう一つ納得できないものでした。

 
見た映画(DVD)TB:0CM:0

ディベート練習帳

2006/08/03(木) 00:10:05



気鋭の経済学者、ウォルター・ブロックによる、へ理屈・詭弁満載の挑戦状。

売春OK? シャブ中アリだってぇ?! ケシカラン! ダメなものはダメ! などと、品格論者のように頭ごなしに極めつけてはつまりません。
「んなワケないやろがあっ!」と突っ込むための本です。さあ、真っ向勝負で論破してみましょう。

中高生の教材にピッタリ。「なんとなく」を排除して、頭の中を整理し、自分の立場を明確にするのに役立ちます。

原文を日本向けに大幅に改変してありますので、“別に不道徳でもないじゃん”と思うような例もあって、全体的な切れ味は今ひとつ。訳者の解説も何やら不安を誘いますが(大丈夫か?この人)、アイデア自体は、アメリカで評判を取ったというだけあって、なかなか面白い試みだと思いました。



 
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