常世国往還記

本と映画のノート



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Author:かもめ
読書と映画の鑑賞記録。
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鬼子母神 (ヒトラー雑感)

2005/11/11(金) 14:01:46

ヒトラー映画は完全に出遅れだったのに、トラックバック頂いたりして意外でした。こんなマイナーブログにまでトラバが回ってくるとは、私が考える以上に話題作だったのでしょう。

ついでにあちこち見て回りましたが、意外だったのは、ラストをハッピーエンドと捉えた人が多いこと。うーん、そうかなあ。私は「お話はこれからだ」というふうに受け止めたのですが。
ユンゲのいわば無垢の時代はあそこで終り。あとはホロコーストの情報がなだれ込み、ドイツ国民にとって、長い悔恨と贖罪の日々が現在に至るまで延々と続くわけですよね。

あの映画では、現代の戦中映画としては不自然なほど、ホロコーストの話が出てこない。完全に画面からカットされています。それは、「何も知らない」ユンゲあるいは一般市民の視点を強調する意図もあったとは思いますが、それよりも、第三帝国を描くドイツ映画にとって、ホロコーストはもはや大前提、表に出す必要がないほど、ドイツ人にとっての共通理解事項との解釈だったのではないでしょうか。

裏にホロコーストが厳然とあった上でのヒトラーやゲッペルスらの言動を見るべきで、表面的な戦争ドキュメントや人間ドラマと見てしまっては、価値も半減してしまう……とは言っても、当事者たるドイツ国民以外の、ホロコーストに縁遠い人たちが、この映画を作中の物語だけで受け止めてしまうのは致し方ないことです。世界に向けての表現としては、やっぱり失敗なのかなあ。

ゲッペルスの妻マグダに対する感情移入も、個人的にはよくわからないところです。女優さんの演技は凄いのですが、マグダの行動自体に違和感があって、あとでものすごくひっかかりました。
あれを日本的な一家心中と同一視しても良いものかどうか。
ヒトラー信奉者だった彼女が、第三帝国崩壊に絶望して子どもを道連れに自殺すると、まあ、お話はそういうことなのですが、主義の人にしては、マグダの葛藤はすさまじい。西洋には親子心中的発想は少ないとも聞きますし、子どもたちまで巻き込む必要は無かったのではないか。賢婦人で鳴らした彼女が、事前に疎開させるなどの手を打たなかったのはなぜだろうかと。

思うに、終始政権の中枢に近いところにいた彼女は、自分たちが何をやっているか、完全にわかっていたのではないでしょうか。第三帝国の裏側も、自分たちの「理想の家庭」がユダヤ人の犠牲を基盤に成立していることも。そして、帝国が崩壊すれば、ナチスの宣伝塔として名前も顔も知れわたっている自分たち一家に、どんな未来が待ち受けているかも、正確に予測していた。自分たちの死後、残された子供たちを恐ろしい運命に直面させるほどの残酷は無いと考えたのでしょう。
少し前にムッソリーニが処刑されていますね。この情報が彼らに届いていたとしたら、ムッソリーニの末路も、彼女にこのような決断をさせた理由の一つだったかもしれません。
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読んだ本TB:0CM:0

四面楚歌

2005/11/07(月) 22:23:25

ヒトラー 最後の12日間

監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
ブルーノ・ガンツ,アレクサンドラ・マリア(ユンゲ),
ユリアーネ・ケーラー(エヴァ・ブラウン),
ウルリッヒ・マテス(ゲッベルス),
コリンナ・ハルフォーフ(マグダ・ゲッベルス)
2004年 ドイツ

ほぼドキュメンタリーです。フィクションは交えていません。
ソ連侵攻からベルリン陥落までの数日間、地下の指令本部の日常から崩壊までの一部始終が、最後まで司令部にとどまったヒトラーの個人秘書ユンゲの証言によって、明るみに出ました。
この作品も多くを彼女の著書によっており、若い女性秘書を通して見たヒトラーとその周辺が、ストーリーの中心になっています。



ずいぶんと毀誉褒貶のかまびすしい作品のようです。
非難する側は、ホロコーストの怪物・ヒトラーの人間的な側面を描いたことで「これはヒトラーの美化だ」と叩いたようですが、それは違うでしょう。
第三帝国の狂気は、ヒトラー一人のものではなかった。それを支えた人間が大勢いたという点で、たとえば異常者の起こす猟奇殺人などとは決定的に異なっています。ヒトラーにせよ、ゲッベルスにせよ、奇矯な怪物ではなく、人間だから恐ろしいのです。
秘書をいたわり、家族を愛し、子どもの頭をなでる。同じ人間が、同じ手が、平然と何万もの人びとを虐殺するから、ホロコーストは恐ろしい。
ヒトラーを特殊な怪物と見なすことこそ、ナチの凶行を歴史の彼方に風化させることに他ならないのではないでしょうか。

礼儀正しい隣人にも、気のいい友人にも、そして私たち自身にも、いつこのような怪物的な部分が芽を出さないとも限らない。だからこそ私たちは、歴史の知識としてではなく、自分自身の問題として、このことを考え続けなければならないのだと思います。

この作品では、ヒトラー最晩年の日々をたどる一方で、熾烈な市街戦に曝され、崩壊していくベルリンの地獄図が、冷酷なまでのリアリズムをもって描き出されます。
たたみかけるようなソ連軍の猛攻に、情報が追いつかず、混乱して思考停止状態の地下司令部、ちぐはぐな命令に右往左往しながらどんどん死んでいく兵士や市民、建物も秩序もズタズタになっていく都市。

これが敗戦。

ドイツは、ヒトラーという一人の指導者が動かし、日本では軍部という集団が動かしてはいましたが、結局戦争の最後は同じような状況を呈していたのではないでしょうか。

戦況といわず、ホロコーストといわず、責任を「怪物」ヒトラーとその側近だけに押し付けてしまえば、一般ドイツ市民は精神的に楽なはずです。「自分たちはだまされていた」「知らなかった」「自分たちは関係ない」
しかし、この作品は、そうはしない。

「市民がナチを選んだのだ」というヒトラーのせりふは、責任逃れのようでもありますが、一面真実です。彼は一般市民に選挙によって選ばれた"代表"なのですから。彼の夢である第三帝国と反ユダヤを選択したのは、他ならぬ市民でした。
ユンゲ自身も「私だって責任が無いとは言えない」と言っているし、最後にユンゲと手をたずさえて脱出する幼い少年すら、まったくの無垢とは言いがたい。

帝国崩壊によって、市民は結局その「誤った選択」の報いを、充分すぎるほど受けたということなのでしょうが、それにしても、もう一つの敗戦国である日本には、こういった視点がほとんど見られませんね。
終戦特集が組まれるたびに、なんだかモヤモヤして気分が晴れないのですが、悪玉=軍部、被害者=市民や兵士、と、それだけでいいのでしょうか。

もちろん、当時の日本はドイツほどの民主主義国家では無かった。しかも、軍部が政治を握ってしまっていたのだから、開戦や侵略の決定に市民が直接関わる機会はなかったかもしれない。それでも、開戦前後の強硬姿勢を、国民の大多数が旗を振って歓迎したことは間違いない。

いや、戦前・戦中派全員に反省しろと言っているわけではありません。
そうではなく、どうして一般市民が戦争賛美気分になってしまったのか、軍部にだまされたというなら、どうしてだまされてしまったのか、だまされないためには、何をどう気をつけたらよかったのか、そこをよく考えないと、単純に平和バンザイ、戦争反対では、同じことがいつかまた起きるんじゃないかと思うのですが。
既に起きかかっているのかもしれないけれど。


地味な映画にしては珍しく、地元の映画館にかかりました(といっても、一日一回のみの上映ですが)。
どうせガラガラなんだろうと思ってタカをくくっていたら、半分以上席が埋まっていました。
この館の通常のレベルからすると、大入りといっていいくらいです。レディースデイ(女性割引あり)だから女の人が多いのは当然、といっても、他に女性向きの映画もかかっているのに、戦争物にこれだけ入るのは珍しいし、真昼間なのに若い男の子(大学生?)がかなり来ていたのはびっくりでしたね。

この映画は、おそらくヒトラー関連映画の一つのスタンダードとして、長く残る作品になるでしょう。必見です。
DVDで見ても良いけれど、市街戦の臨場感など、映像的にも素晴らしいので、機会があれば劇場で観たほうが良いでしょう。
見た映画(DVD)TB:1CM:0

不治の病

2005/11/04(金) 21:55:52

待ちうける影
ヒラリー・ウォー著 / 房 里絵訳
東京創元社(創元推理文庫) 2001年


婦女暴行殺人犯に逆恨みされた主人公が、医療刑務所を出所した犯人につけ狙われるサスペンス。

性的な異常嗜好を、病気と見なすか犯罪と見なすか、また、病気と見なした場合、完全な治癒は可能なのか。
つい最近、日本でも同じような話題があり、非常に身近なテーマです。
作者ウォーは、かなり悲観的な見方のようですね。

出所後、興味本位のマスコミや、人間関係のストレスに曝され、精神の平衡を徐々に失っていく犯人には、同情を覚えつつもはらはらします。
ストレスの元凶である犯人の姉さんが強烈。

それに比べると、主人公の高校教師は、なんとなく冴えません。周囲の人びとも、際立った個性や魅力に乏しい。善人というだけではねえ。
生徒とのエピソードも取って付けたようでいただけません。
ドラマとしては、「ケープ・フィアー」のほうが数段上かな。
読んだ本TB:0CM:0

本のアフィリエイト

2005/11/04(金) 21:33:12

ほとんど画像のためにやってるようなものなのですが、引越したらアマゾンが使いにくくなってしまったので、本だけbk1に変更することにしました。
個別ページから直接リンクが自動生成できるので便利です。ちなみに、個別ページは最近ブログ形式になって、トラックバックもかけられます。
以前よりは軽くなりましたし、いろいろと親切にできていますが、アマゾンに比べると、情報量がいささか少ないのが残念ですね。
なみま雑記TB:0CM:0

二度と起こさないために

2005/11/03(木) 22:53:08

なぜ福知山線脱線事故は起こったのか
川島 令三
草思社 (2005/08)
売り上げランキング: 9,587

私の仕事はミスチェックです。
どんな人間も、必ずミスをします。だから私の仕事があります。
チェックをする私だってミスをします。
人間のミスを減らすことはできますが、無くすことは不可能です。

あの悲惨な事故が起きたとき、原因は運転士の操作ミスだと言われました。
確かにカーブで減速していれば、脱線をまぬがれたのかもしれません。しかし、人間が操作をするかぎり、運転ミスゼロはありえません。
被害者やその御家族など、事故当事者にしてみれば、そうも言っていられないでしょうが、システムの安全性を向上させるにあたって、運転士だけに責任を求める行きかたは建設的でないという著者の主張は、その通りだと思います。

先日ニュースでやっていましたが、JRは運転士の意識向上のためのQC活動を始めたようですね。QCは、確かに人為的なミスを減らす上で効果はあるけれど、決定打ではないでしょう。
ミスは出る、それならば、出てしまったときの安全ネットをどのように張っておくか、そこが問題です。
鉄道にはATSやATCという安全ネットがあったはず。それが肝心のときに機能しなかったのが最大の事故原因、ならばなぜ機能しなかったのか。また、安全性を減じるような機械的な、あるいはシステム上の原因が、他にも生じていなかったのか。

著者はマニアがそのまま専門家になってしまったという経歴の鉄道アナリスト。特に車両構造の話など、専門用語が多くて少々とっつきにくい部分もありますが、かなり親切に解説してくれていますので、門外漢の私にも、まあ大体のことは呑み込めました。鉄道ファンなら、種々の数字など、もっと興味をもって読めることと思います。
また、鉄道そのものに特別な関心がない方でも、システムの安全性を考える上で、何かと参考になる点も多いのではないかと思います。

とりあえず、私の仕事では私がATSってことです。眼鏡なおしに行ってこようっと。


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